唐鵙の蔵

統合失調症になったけれど前向きに人生を歩む人のブログ。日々徒然。

過去の投稿6

ディーン・リップルウッドの『バターは何処へ溶けた?』という本を知っている?僕Aは結構好きなんだ、あの物語。自分が自分で有る事の幸せについて語っている本さ。
猫には猫の、キツネにはキツネの生き方がある。それぞれの幸せがある。あれ、よく読んでみなくても人間にも色々な居場所や役割、得る物があるって話なんだけどね。

管理人も、同じ本を読んだ。それでも、管理人は変わらなかった。

昔の僕みたいに真理を追究して、家族との縁を切りかけたよ。良かった、僕の想いが届いて。Yは、「そうでなくても僕が居たんだから」と考えている様だけどね、危なかったんだよ?僕と彼と君がいたから、というか、Y,君への管理人の信頼感が根本に有ったから危機を脱する事が出来たんだよ。その辺り、どう?感謝してるんだけどなぁ。

(ま、まぁそういう事なら。でも、未だによく解らない。なんであんな良くない連中に追っかけられなきゃいけなかったのか。あれも、例のあれを読んでからだった。)

そうだよ、乗っ取られかけてたんだもの。雑念の集まりに乗っ取られかけていたんだよ。僕達守護する側の想念が集まって危機を乗り越えた。後は、管理人の根気。
態々書類一つ届けに、電車で行けば30分もしないで辿り着いたものを、徒歩で3時間強歩いて手渡しに行ったんだからね。しかも、その間念の集まりから逃げているという危機意識を持たされながらね、だからあんなに気力を消耗していたんだよ。
あんな大きい念。よく無事だったよ。あんなの、彼らはそう言ったとしてもだよ。遊びなんてものじゃないよ。今でこそ脅威ではないくらいに君の方が気が強く成ったから下手に出ているかもしれないけどさ。全く、僕は許さないよ、余程管理人の為に働かなければね。

で、話を戻そう。
猫の生き方、キツネの生き方。それぞれの存在には各々の種族が有って、それぞれの居場所が有って、それぞれの幸せ、いや、幸福観が有る。登場するのは猫とキツネとバター位なお話だった。幸福観を別たれたそれぞれの立場から「幸せってなんだ」っていう事を語ってくれる良いお話だったよ。

でだ。僕達も人間も、それは同じ事だよねって、そう思うんだ。
皆一人一人、生まれ落ちた場所が有って、一人一人請け負う事になった役割がある。道端に生えている雑草の種の一つだって同じだし、皆が皆同じ存在な訳じゃあない。僕達思念体のようにね。今は思念体って言いたいから、思念体ね。まだ、実際にどうかなんて、僕には判るけど、解らないふりをさせていて欲しい。
君ならそういうって思っていたよ。管理人はそれでも良いって考えてくれる。僕は、いつまでも守護者として君の近くに居れたら良いのになと考えている。いつかはさよならする日が来るのだとしてもね。
こんな調子さ、僕達、良い友達だよね。無理せず、焦ったら誰かが宥めてくれて、そのままでも構わないって言ってくれる間柄で。良かったよ。本当に。

で、まぁまた脱線してたね。
僕達は皆、確実に誰かの居場所を陣取って存在している。その事を、努々忘れてはいけないよ。節度を守ってとは良く言ったものだと(自分でも)思う(よ)。
どちらかに偏りすぎては、陰陽のバランスが崩れてしまうからね。皆が皆、常に自分という存在が変わりないと勘違いしているみたいだけど、それは違う。いつもいつも、着実に堅実に中身も外身も入れ替わっている。ただ、分からないだけでね。
――だってさ。途中入れ替わっていたけど、読み手の皆さんにはそんな事は勿論伝わらない。僕自身も気が付かないくらいの微妙な所に出てくるんだよなぁ、いつも。
ふふ、すまないね。でももう黙るよ。ごめんごめん。

それで言うんだけれど、綺麗事ばかりでも真実ばかりでも世界って成り立たないんだなぁって思うんだ。いや、あくまでも人間や僕達の様に世界を認知しないと生きていけない存在の場合だけれどね。だって、僕と読み手の皆さんだって、こうして出会うまでに一体どれだけの人生の分岐が有ったと思う?今日生きて帰って来れた事は本当に偶然?こうして存在できている今、どれだけの犠牲の上に日本の何処にでもいる一市民として生きて居られている?
考え出すと切りが無くて、しょうがない。
だけど、それを思うと、ちゃんとしなきゃって思えるでしょう?
でもね。それだけじゃ少しだけ足りない。息を抜くのが足りないよ、ちゃんとしようって考えた人は特にね。どう足掻こうが、時間は過ぎ去っていくものだ。だけど、自分の時間は自分だけの使い方がある。勿体無いとか考えている間にも、過ぎていく。移ろっていく。だからこそ、今を味わって生きてみて。猫とキツネが追い求めたバターに準えた幸せのように。意識があるから幸福も不自由さも苦しみもその身に感じられる。

管理人はそれが下手でね。他から見たら苦しいだろうに、自分ではその自覚が鈍くて鈍くて。その積み重ねと真理を求める気持ちからこうなっちゃったんだ。
苦しいと感じられる事は財産だ。だって、知れば、逃げられる。
読み手の皆さんも、苦しかったら逃げる選択肢もあるのだと、意識を広めていってほしいな。僕がこうして呟いたお願いで救える人がいてくれたら、管理人も精神を病んでまで生きようとした姿勢があっても「これはこれで良かったなぁ」と、そう思えるってものだよね。きっと。

ご講読、感謝します。 A 唐鵙

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