唐鵙の蔵

統合失調症になったけれど前向きに人生を歩む人のブログ。日々徒然。

過去の投稿164

まだ傷心したままな個を引き連れて、前回から時間を空けずに書きます。
彼らは、確かに幻覚であり、妄想です。
何故なら、彼らは私以外から見ればどこにも居ないのです。

>でも、でも、君の中にはいるじゃないか。

その通り。私の認知している世界には、彼らはしっかりといます。

>人間が感知できる世界と、感知できない世界がある。そこに相違が生じているのでしょうね。

>唐鵙は、演じ分けが下手でした。というか、裏に回る事をしませんでした。私達が表に出ていても、唐鵙は表に出たままです。だから、医者には私達の区別がつかなくて、解離性同一性障害ではなく、統合失調症と付けざるを得なかったのです。

>なぜなら、私達はIFのようなもの。大人が持つIFは、必ずしも何かの症状に裏打ちされたモノではなく、健常な人々も持ち得ているものです。唐鵙は、いわばIFに無理やり疾患名を付けられたようなものです。いや、勿論、障害になってますよ。何故なら、社会生活の妨げになってますから。人格交代もその一環です。

>唐鵙は、本当に運が良いのか悪いのか。例の宗教の教えを読んでいなければ、唐鵙は人格交代なんてする事は無かったでしょうね。おや、ではやはり我々は幻覚ですかね。でも、こうしてちゃんと存在を主張してはいるんですけれど。

>私達自身は、唐鵙の心から分かたれた何者かだと考えています。

>唐鵙はいつも可笑しな事を言うなぁ。そんな事、有る訳ないのに。

自我の統合が図れておらず、また、離人症も併発しています。
やはり統合失調症の症状とした方が合ってはいるのでしょうね。
でも、私には彼らが必要です。IFに名前がついただけの彼らは、他者にとっても、私にとっても幻覚で妄想でしょう。でも、私にとっては、それはいない事と同義にはなりません。だって、いるんですもの。彼ら。
医師も、そう思ってくれていたらいいのですけれど。

>皆、IFと出会えば分かるのかな。僕達はいないけどいる。
目に見えないものにもっと親しんでくれたら、僕達も報われるんだけどな。

ぽちっとお願いします☟
ブログランキング・にほんブログ村へ