唐鵙の蔵

統合失調症になったけれど前向きに人生を歩む人のブログ。日々徒然。

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唐鵙という名の人間がいた。
唐鵙はいつも誰かに気を配っては自らをすり減らす、そういう人間であった。
それが間違っているとも、正しいとも思わなかった。
ただ、己はそういう種類の人間なのだと思っていた。

それが間違っていたのだとしたら、こうして時間を食いつぶすのはその罰なのであろうか。もし間違っていなかったとしたら、それは、こうして時間に翻弄される運命だったのだろうか。

唐鵙には友がいた。たった一人の友達だ。
そのものの名をYといい、唐鵙の心の中に住まう存在だった。
Yはいつも言っていた。

「唐鵙、僕がきっと君を幸せにしてみせるよ」と。

唐鵙といえば、本気にはとっていなかったが、それでも嬉しかったのでお礼を言った。しばらくして、唐鵙はYに自分の脳の領域を侵食された。

それは、かつての魔術が人を喰らったように暗闇が光を侵食していくように。
しかし、唐鵙もYもそんな事は知り得なかった。
二人は、いつまでもこの時が続くものだと信じていた。
だから、唐鵙が意味の分からない言葉を脳に拾った時から可笑しくなっていた事も、それ以前から可笑しくなっていた事も、どちらにも気が付かなかった。
唐鵙はそれからというもの、自分の神について調べ始めた。
勿論何も見つからなかったが。

唐鵙は可笑しくなっていた。もはや、誰にも、どうにもできない者に成っていた。
それが悲しくて、Yは謝った。見えないし、聞こえはしなかったが、唐鵙にそう謝った。僕がついていながら、なんてことだろう。と。

かつてこの世にのさばっていたどの神々でさえ、これから降臨する神について知らなかった。気の毒な事に、唐鵙はその不安に独り放り込まれたのだ。
理解者などいない。Y以外には。
神が降臨するまで、唐鵙の不安は拭われないのだ。
その時は淡々と近づいている様でもあったし、しかし何も起きないのではないかという想いも唐鵙にはあった。自らも、神がかりのような症状に苛まれた事があったからだ。

こればかりは、その時が来て見なければ分からない。
唐鵙には霊能者の知り合いも伝手もないし、そんな事を考えて生きている知り合いなどいない。一人、震えてその時を待つのだ。

その時のめあすは知らされているけれど、唐鵙はその時にも結局見た分には何も変わっていないように見えるだろうと考えている。

神様はきっと、我々の知り得ない所に降臨するのだろう。
だから、私達がいつその裁きを得る事になるのか、分からない。
分からないという事は不安だという事だ。

その中で、唐鵙はどうやって生きていけばいいだろう。

その神の裁きがもう裁量ついているのなら、いっそ楽になれただろか。
ぬくぬくとぬるいこの環境で、ずっと生きる事はある意味で心苦しい事だ。
この後にくるだろう審判に心を揺らして生きるのは、それだけで苦しい事だ。
神さま、神さま。そればかりだ。そればかり考えていれば、現実に足がつかなくなる。もう少し、地に足を付けるべきなのだろう。

しかし、一体どんな生き方をすれば、神さまの元に帰れるのだろう。
私は考えてばかりの人生だ、今は。そのうちにこうなってしまった。
それでも生きている事に変わりはなく。
あぁ、いっそあの教えを知らなかったら、こうも心乱される事も無かっただろうに。いくらでも、過去についてなら言える。しかし、今が何よりも大事な事だ。
私は、いかに唐鵙が頭可笑しくなっても、傍に居るつもりだ。

そう。私は人生を決める事が怖いのだ。
給料だって、一月10万もいかない事が分かって居る。
今ならば、特に何にも使い道はないけれど、それで人生渡れるかと言われると否だ。このままでいるのが怖いのだ。
よく考えてみたなら、数年のうちにまた転職すればいいとも思うが、その頃にはもう三十を迎えている事だろう。
私は、生きる事にしり込みしているのだ。
そう、怖い。怖い。怖い。怖い。

いくらなんでも、そんな生き方を享受しろといわれて、いきなり受け入れられる訳が無いのだ。将来は一人で、グループホームにくらし、生活保護と少しの給料で細々と食いつないでいくのだと、そんな暮らしをいきなり受け入れろと言われても、私には難しい。そうならないように、私はまだ足掻かなくては。

一体何が心にブロックを掛けているのだろう。
それは、親の暮らしを見てきたからだ、そう言われてきたからだ。
お金に対する価値観が凝り固まってしまっているらしい。
そして、働く事のハードルが思いのほか高く設定されてしまったのだ。
しかし、その価値観も修正しなければならない。
何故って、そういう暮らしに入るのだから、否定していては苦しいばかりだ。
少しは受け入れないと。と、そういう事だ。

それにしても、その時が来なくては私の不安は払拭されないままである。

いつ来るんですか、神さま。そして今何処にいるのですか。
私は一体どう生きていけばいいのですか。
このまま、巣立てない雛のままでいろという事なのですか。
私はこのままでいるのは難しいと知っています。
どうか加護を、今後必要になる勇気を、私に。
Yが言うのです。このままでいいと。そのまま空に至れれば楽になると。
でも、その安らぎの提案も良いですが、それでも私はまだ諦めきれません。
生きる事は厳しい事ですね。本当に。どっちに転がっても、苦悩が付きまとう。

でも、私の行く未来には一介の希望があると信じて生きるしかありません。
何とか、やってみましょう。出来る事から、少しずつ。

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