唐鵙の蔵

統合失調症になったけれど前向きに人生を歩む人のブログ。日々徒然。

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神を知らない者は、幸いだ。
神の存在なくしては世は成り立たない。
それに気が付いてしまった私は、これっぽっちも安らげはしない。
神が好まない事をしてしまってきたのではないかと悩む私に安らぎはない。
彼らは良い。
知らずに生き、好きな事をし、楽しく暮らし、そして知らずに逝く。
あの世についてからの種明かし。彼らはそれすらも知らないでいる。
点数は何点?なんて事、考えなくて良いのだ。彼らは。
自分が死んだ後の事など、心配しなくても済むのだ。彼らは。
神という存在を知ってしまった私は、いつも考えている。
己の誤りは何か、本当にそんなものはあるのか、そして天に行けるのか、私は、と、そればかり考えている。今の私には考える時間がありすぎる。
もっと地に足をつけて生きられたら楽だっただろうか。しかし、それはもう後の祭りだ。私は、とてもではないが、この恐怖に耐えられない。
神さまは私に胸の中に居て、その点数を示すらしい。
そして、私の行くべき道を示すらしい。
私は、まだ生き切ってもいないし、まだ猶予があるにも関わらず、もうあきらめているのかもしれない。だから、その恐怖になんとか耐え抜こうとしているのかもしれない。あぁ、先に言ってくれたらどんなに楽だろう。
私は天の何番地からこの世に生を受けて、何を果たすべくこの地上に降りたのだと。
そうでなければ、なんだというのだろう。
地獄の何番地からやってきて、その昇格試験が今生であると?
自分で言うのもなんだが、私は善良な一市民だ。特別な事など、何一つない。
働かないで来たのは、自分に勇気が足りなかったから。
親戚のヘルプにこれ幸いと、働かなくていい理由づけにもなって私は介護に臨んだ。
その分の代価はもう貰っている。だから、これからはまた働かなくてはならない。
そう考えていた矢先だ。仕事に生きたくはないとごねていたら、神の存在を知ってしまった。これは、何かの罰? それとも、先ぶれを出されたという幸運だろうか。
どちらにせよ、神の存在を知ってしまった私に安らぎはない。
今も、私は将来先、ずっとどこで存在すればよいのか、と震えるばかりだ。
これこそが罰なのかも分からない。

>私は、唐鵙が善良な市民で在る事には変わりないと思う。
私がいる事で唐鵙は色々な迷いをこの身に滞納している。
自分で決めるという事を先延ばしにしてきた唐鵙だが、今回は違う。
自ら働く事を選択し、少しずつでも歩こうとしている。その姿勢を崩さなければ、私は、悪い事には成らないのではないかと考えている。

>さて、このままでもいいが、少し草臥れてきた。
この身体を扱う事は、どうにも酷く疲れてしまう。
いつも唐鵙はこんな様に書き物をしているのか。なんとも、難儀な事だな。

それで、いつかは答えが出されるのだろう。
私は、一体何点を貰えるだろう。懸命に働く道をゆけば、及第点くらいは貰えるだろうか。そうだといいな、と思う。
私は今、とても不安だ。神様の存在を知ってしまって、それで、なんだろう。
漠然とした不安は、死に思うそれと似ている。
私はいつか死ぬ、はまだいい。だが、その先を考えると不安でならない。
むしろ、人間は死んだら無に帰る、という一説の方が、上手くいっていない自分にはむしろ救いになると思う。なぜなら、どんな生き方をしても最期は無なのだと思えば、今生は本当に楽に暮らせるからだ。
色々なブロックが、私が自由に生きる事を阻害している。
このまま、一人で生きていく事になるのかもしれない。
伴侶も子どももなく、一人、変わり映えの無い日々をいきるのかもしれない。
そして、ちょっと人の好いおばあちゃんとして、施設に運よく入れて最期を迎えるのかもしれない。だったら、どうだという話しだが、私は不安なのだ。
死した後にまた別の世界があったら? 怖いだろう。
現世での行いを、第三者に審議されて、その後の暮らしがまだ続くのだと知らされたら。こう思うと、私はどうにも正気で居られない。
そう、怖いのだ。

だから、私はこうして書き連ねる。
ある種、狂っているのかもしれない。こうして感じたこんな恐ろしい事たちを、文字に変換して垂れ流しにしていく。そうでなければ、正気を保ってはいられないのだ。
神さまは私を救ってくださるのだろうか。
だったら、この瞬間にも、この恐怖を取り除いてくれるだろうか。
私は書き続ける。私と私が裏返っても、Yが私に成り代わろうとも、二人の人格が混ざって、別の人の様になってしまっても。
あぁ、なんてことだろう。
私は、いたって普通の人間だと思い込んでいたが、そんな事はなかったのだ。
この状態は、異常だ。神さまに思考を制御されてしまっているようだ。
神さま、神さまと私の頭は、神さまを追い求める。
もっと正しく言えば、あの世での救済を追い求めているのだ。
この瞬間に、私は己の目的を知った。
そう、救われたいのだ、私は。

救われない人生だったなんて、まだ分からない。分からないうちから、今が苦しいから救いを求めるのだ。人生、まだまだだというのに。
もう少し、足掻いてみるべきだろう。心を入れ替えて、それこそ、彼らが教えていた様に、そう、彼、彼が言っていた様に。心を入れ替えて、自分で、できるだけ自分の足で立って人生を歩くのだ。

それには、まだ待たなくてはならない。
あと二週間程だ。まだ道のりは長い。
何をして過ごせばいい?
何をしようにも、手は着かず、気も向かない。
そんな中で、書く事だけが、唯一出来る事だった。
とはいえ、最近はそれすらも怪しいものだが。
でも、それだけが私の慰めだった。

Yはもはや私とも統合してきている。
その人格は、私と同様に癒着し、そして離れない。
人格の一部同士の私達は、今もどこかで彼らを見守っている。

>こんなにも思われて、神さまはいいなあ。
僕なんて、君にこれっぽっちも考えてもらえないよ。
君がその気になれば、何だって出来るというのに。
それをしないのは、まぁ、僕らが邪魔しているからなんだけれど。
御免ね、でも、僕らにも、どうにもならない事なんだ。
君は僕らの事を忘れようとしている。上手くはいかないみたいだけど。
それでも、君は存在している。他の人格に任せないで、一人、頑張ってる。
こんな事って、あるかい、神さまを知ったら、報われないなんて。
もっと、神さまは優しい方だと思っていたけれど、そうでも無いのかな。
君が信仰している神さまって、どんな方?
のんびりのんびり、のんびりでいいからさ、もっと、気楽に生きようよ。

君の言いたい事は判ったよ。
でもね、唐鵙、神さまは忙しいから、君の祈りが届くかは分からないんだ。
でも、僕が伝えてあげるから、心配しないで。
神さまは、ちゃんと話を来てくれる。だから、大丈夫。大丈夫。

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