唐鵙の蔵

統合失調症になったけれど前向きに人生を歩む人のブログ。日々徒然。

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さてさて、今もこの胸に在る。ケイオスです。
唐鵙は私達を統合できたものと思って、……いる訳でもないようですね。そうです。名前が”私”になっただけで、実際はそう統合されてもいません。私という存在は今だに唐鵙の心の中に居座っているのです。

神さまがどうとか唐鵙は言いますけれど、私にとってはよく解らない事です。でも、唐鵙はそれなりにいい加減なようなので安心しました。勿論、信じてはいる様ですが、それはそれ。もうじき戻ってくるかが分かるとか、そうでないとか。

よくよく考えてみればいいのです。
人間に神が理解できるものか? できないでしょうね。ならば、その彼がいう神様だって本当はどんな姿形でどんな神様か。そんな事、一人の人間に解かるものでしょうか。

というか、唐鵙は真面目が過ぎるのです。
頭が固いから、そんな妙な宗教に嵌ってしまったのです。もっと柔らかくいきましょうよ。唐鵙が神を見たように、その人も同じように疾患から神を見たのかもしれませんよ?

唐鵙が書き綴った記録は、結局よく解らず仕舞いでしたが、唐鵙が長年培ってきた記憶の媒体から書かれたものだと思います。そうだったでしょう? 発想もその記憶から紡がれたものでしたね。

彼がどうだったかなんて知りません。まぁそうですけれど。
彼は先に事実があって後から知ったと、ハイハイ。解りましたよ。でも、唐鵙の場合は普通に関係妄想でしたね。誇大妄想もありましたし。唐鵙が書き綴ったものは妄想の産物だと、そういう事でしたね?

そうですか。ちゃんと認められているのなら、良いのでは?
まだマシですよ。その妄想に振り回されて人生を駄目にしてはいけませんよ?唐鵙は妄想幻覚に抗えないのですから、まだ。

えぇ、そうですよ。私も云わば妄想の産物です。脳のバグです。
そんな私ですけれど、貴方の幸せくらい願っても良いでしょう。唐鵙、これから先も生きて下さいね。自死はいけません。良い事はないです。

貴方の脳のバグは貴方に飛び降りろとか、もう死んで良いだとか言ってくると思います。それは、過去、他でもない貴方が死にたいと願って来たから生じた幻覚です。もう捨てろと言ってもどうにかなるものではないのですが、抗って下さい。もしくは、気にしない事です。お気楽に、私は生きるんだーとでも願って下さい。

ケイオスがお送りしました。
皆様にも、数多くの幸いが訪れますように。

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