”僕”と”私”の思うようにいかない話し
今日、また発作がありました。
今回は、意識が霧散していく様な、そんな感覚に襲われました。
その中で、言葉だけが口からついて出てきました。
「僕、は、君が、大事だ、った」「僕、は、いら、ない?」
薬で眠らされるのは誰か? それはY達数人。
言葉は彼らからのものだったと思います。絞り出されるように、一字一字が出てくる。私の喉で、彼らが喋る。だからこんな感じに聞こえました、ひしゃげた歌のなり損ないみたいに。
歌を歌いたかったらしいが、音は着いてこなかったです。ただ絞り出される声が、途切れ途切れに聞こえるだけでした。
なんでこうなったかというと、移行支援所で気を使って帰って来て、その上でまた例の宗教ブログを読んだからだろうと思います。今日は読む前から可笑しくなったのに、それでも読んでしまいました。意識は遠のくというか、霧散していくかのような靄に包まれていく様な症状でした。そして、私の意識は緩慢になって、そしたら口から出てきた彼らの言葉です。
薬で眠らされている彼らも、時にはその制御を破って、こうして声を上げる時があるという事ですね。入院していた時もそうでした。誰かが眠らなくてはいけないので、交代しながら眠っていました。
私は彼らが必要なので、それを想い、伝えました。
彼らは気が済むまで喋りました。
頓服を呑んでから効いてくるまでの間、久々の語り合いでした。
薬での治療は、強制的に彼らを抑え込むような形になってしまうのでしょうか。それが何かの弾みでこう反動が出るのでしょうか?
私としましては、ゆっくり彼らと向き合いながら収まる所に治めていきたいものです。でも、彼らと話しが出来るのは今日の様に薬が切れて出来た偶然の時間などです。彼らは私に言いたい事が沢山ある様なのですが、こう直接伝える事が難しいのです。文字でもある程度は話せますが、直接的に心を伝えるには、直接のやり取りが一番です。
悩ましい事ですが、私は薬を呑まない訳にもいきません。
思うようにいかないものです。