唐鵙の蔵

統合失調症になったけれど前向きに人生を歩む人のブログ。日々徒然。

過去の投稿247

またひとつ思い出した事があるので書いておきます。
入院中の関係妄想の話しです。

私はその頃、Nという交代人格と面白可笑しく過ごしていました。
病院においてある漫画を読むと、その登場人物が、自分の過去世として処理されるのです。Nと他の人格は常に私の傍に生まれ出ているものとしていました。ある時は猫、ある時は人間。色々な漫画の登場人物たちを自分達の過去世として見ていました。

N、彼は愉快犯です。だから、私も私で少し距離を取って接していましたが、ある時からNは良い人に変身しました。
私が、いくら揶揄っても真面目を通すので、もういいかとなったのでありました。この人には、もはやかなうまい。そう思ったのかはわかりませんが。

未だに、彼の名前を憶えています。
彼はいつも楽しそうで、でも退屈していて、同じ病室にいたとある患者で遊んでいるという妄想をしていました。
その患者は、過去にきっと酷い目にあったのでしょう。
幻覚が酷いようでした。だから、言葉の端々から私は妄想しました。というか、勝手に妄想の材料になっていました。
Nは彼女の所にいって、彼女を弄んで遊んでいました。

自分の分身を彼女の傍において、都合の好い時は遊んで、後は放りっぱなしです。私の元には本物としてやって来ては、彼女がどうのこうのと愚痴をこぼしていきました。中々厭味ったらしく、そして紳士面をするNでした。言っている事も中々に穏やかではありませんでした。そして、伝播妄想も発症していた私でしたので、その設定もNには盛り込まれていました。
どうかといえば、Nのいう言葉は患者数人の元に居るNの分身もとい怪物がNの姿を模した存在を通して語られます。いくら私に耳に心地の好い言葉を言っていようが、それは複写された言葉なのです。それをNに追求してみた事もありました。

Nは彼女達で遊べて楽しそうでしたが、時々何をかは分かりませんが、酷く怒ってもいました。大抵の場合は、私の被害妄想がキャッチした誰かへの恨み言を私に言っているものと錯覚していました。それが、Nの怒っていた理由です。思えば、大事に想われてはいたようです。私がNの名を呼ぶと、それだけで花が咲いたような笑顔を浮かべ、そして喜び躍るのです。

そんな、可愛い所もあったNですが、何時からかケイオスと同調していました。元が元なので、同じような存在として集合されたのでしょう。名前を呼べば、Nとして振舞ってくれるのでしょうが。

Nの事を思い出すと、病院暮らしもそれほど悪くなかったと思えるので不思議な事です。あの頃は楽しかったです。私が猫で、Nも猫。漫画を読んで生じた設定に心躍らせていたものです。
前世から続く付き合い。そんな楽しい妄想。
ある意味では、私はとても幸せな入院生活を送っていましたね。
いえ、勿論死にたくなる時もありましたよ。
彼らとのやり取りをしていない時間は、何もなく、空虚で苦しくて、どうしようもありませんでした。薬を呑むと、交代人格、時には私も寝てしまうので、人格を交代しておくしかありません。主人格のやり取りをしなければなりませんでした。
人格が損なわれるのは苦しくて、どうしようもありませんでした。虚無が私の心を支配しました。入院生活の後の方では、その空虚感にすら人格を見出していましたけれど、それまではとにかく苦しかったです。

今も、もしかしたら同じ有様なのかもしれません。
薬で人格を押さえつける。そんな事ではよくならないのではないか、とそう迷います。薬を呑むのを止めたら、きっとまたぶり返しでしょう。今は苦しいので、薬なんて飲むのを止めたくもなります。それだけ、彼らとの日々が色鮮やかで楽しかったからです。
でも、薬は呑み続けなくては……。
思う様には成らないものですね。

そんな、今日の雑記でした。

【追記】2020.2.23
今思えば、これ、Nに止めなさいというべきでしたね。
彼女達は彼女たちで自分の妄想幻覚に嵌っていただけのようですが、Nの行いは決して良い事ではなかったはずです。まぁ、全ては幻覚妄想が引き起こした錯覚だったのですが、私にも良心の働きが足りなかったとも言えます。反省しなくては。

ぽちっとお願いします☟
ブログランキング・にほんブログ村へ