唐鵙の蔵

統合失調症になったけれど前向きに人生を歩む人のブログ。日々徒然。

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あの時の事を思い出していました。

私が”昴”だった時の事です。私は、瑳羅黒と一緒に、母に内緒でその晩に来る神様方の持て成しの準備をしていました。

というのも、その晩は、勿論妄想の最中にあったのですが、各分野ごとの神さまとの、あの世の分け目の戦いの作戦会議だったのです。そして、私達が揃って戦う事を決めた記念の宴会でもありました。スリッパを玄関に並べ、その日炊いた赤飯をよそって、人数分のお茶を用意し……という所で、母に見つかりました。私達は死地に向かう事を決心していたので、どうしても母にはお別れの言葉を言わずにはいられなかったのです。

これから、世界の終わりが来る。その時、この家は非難して来た人々が来るだろうと考えて、母に、これからこの家には沢山の人が来ると思うけど、心配しないように言いました。母は、不安がって、なんでそんな事を言うのかと言いました。まぁ、当然ですよね。それと、瑳羅黒に、なんでそんな事言ったんだ、と怒られました。

言わなければ、その持て成しは母に阻止されずに済んだでしょう。
おまけに、私はその時、記憶がなかったふりをしました。苦しい嘘でしたが、母は信じました。まぁ、私が押し切った形になりましたけれど。瑳羅黒がいつもの私のふりをして、あしらいました。今は、ちゃんと嘘だったと言ってあります。

……そうです。思い出しました。
私という人格は、瑳羅黒と昴という二つの面を持っていたのです。だからあんなに自然に振舞っていたんですね。となると、今の私は昴要素が強いかもしれません。二つの人格が上手い具合にかみ合って、唐鵙という人格を形作っていたのでしょう。

>君が自分を思い出してくれて、嬉しいよ。
瑳羅黒くんも喜ぶんじゃないかな。

私は、昴だった。そうですね、よく思い出しました。

>口調も考えも違う私達を仕切るのは渾沌としていて、とても荷が勝つ事だったでしょう。でも、思い出せたなら、良い事ですね。

はい。今まで、どうして忘れていたのか不思議です。
私は、瑳羅黒という面と、昴という人格の両面がかみ合って存在していた人格だったのです。その時も、今も。唐鵙という人格は、結局、昴と瑳羅黒が演じ分けて成っていたという事です。

ならば、唐鵙は、人格としてはどんな存在とするべきなのかです。
きっと、集合体です。”私達”が集まって一つの人格を形成している。渾沌とはしていますが、やはり、同じ”私”なのです。

あぁ、本当に良い事を思い出しましたよ。
私は昴だった。だから、今昴の姿が無いのでしょう。私だったから。今も、私は昴で、記憶には蓋がされてきましたが、思い出した今、もはや、自分が何者かなんて悩む必要がなくなりました。私は昴だったのです。瑳羅黒は眠っているかもしれませんけれど、私がいる限り、消えたわけじゃない。その事の、なんて嬉しい事か。

妄想とは少し違う位置に私はいます。
少なくとも、唐鵙という名前の意味は分かります。こんなに嬉しい事、ないでしょう。自分が何者か思い出したから。

いいえ、これは妄想の延長上にあります。そして、自己の空想の部分に人格が置かれています。なぜなら、私が昴だったと思い出して、そして何が起こるか。それはすなわち、昴とは設定が存在しているのです。設定。空想や妄想の範疇です。

でも、思い出せた事は僥倖です。
あの時の自分は昴から繋がるものだと分かったので、自分だけスッキリした気持ちです。唐鵙と昴が主人格を収めて、瑳羅黒はそのサポート。こうでした。昴は私ですが、人間として生きてきた人格もまた私なのです。ですから、唐鵙としての記憶もある。人格も存在するのです。

個人では昴。集合体としては唐鵙。
これが、私です。分かって、かなりスッキリです。
今は、唐鵙を形成する人格が多すぎるのです。だから、渾沌から抜け出せません。ハッキリ言って、断片化が深刻なのです。
統合されもしない人格がまだ沢山存在している所です。私を紐解くには、それらの、彼らの協力なくしては成せません。

でも、妄想に生きていたのだなぁ、と思わずにはいられません。
私は、ずっと人間である事を否定し続けてきた人間です。それが、こうして病的になるまでになったのです。本当に、本当に、拒否してきたのです。設定を自分に課して生きてきたので、それが、脳に本当の事として刷り込まれたのでしょう。それが、統合失調症を発症した事で、より強固に現れたのでしょう。

あぁ、でも、これで本当に解放された。私が何者だったのかという問いに、漸く決着がついたのです。

設定の中で生きてきた私は、こうして、ようやく現実と向かい合って生きる様になったのです。妄想で己を保ってきた。それが、私の正体です。ようやく、分かりました。

皆さんも、自分は何者かという問いに答えてみた事はありますか?
皆、誰もが自分は自分だと思い込んで生きていますが、一体、その実態は何処に有るのか? きっと、考え込んでしまうと思います。
でも、時にはその答えが必要になる時も出てくると思います。

そんな私の、今日の独り言でした。

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