唐鵙の蔵

統合失調症になったけれど前向きに人生を歩む人のブログ。日々徒然。

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正気になる時が私にもあります。

私は一体だれを信仰しているんだ?
私は結局何をしているんだ?

けれど、その答えは誰も答えてはくれない訳です。
自分自身に問いても、確実な答えは返ってきません。

>こんな事も分からないのか? お前は何をやってるんだ。

そんな事、私が知りたいですよ。
何ですか。神について学べと?

>ちがう。お前の望みはなんだった? いい加減思い出せと言うのに。なかなか強情な奴だな、唐鵙。そんな叶う見込みのない願いではないだろう。

えとですね、見えない者達の救済、ですかね。人間だけでなく、見えない彼らにも天の国への切符を掴んでほしかった。

>中々な答えだ。しかし違うな。お前の願いは、もっと先の事を見越していただろう。あと、善人ぶるのもそろそろ卒業するんだな。

う。はい、天国に行きたいです。私が。

>そうだとも。お前は天に帰りたいから色々やっているんだろう?
米の教えを学んでみたり、出来る限り善人であろうと努めたり。

>そうそう、僕らも君が天に帰ってくれれば一緒にそこに帰れる事があるかもしれないでしょ?僕は君に憑いていきたいって思ったから、一緒に居るんだよ。まぁ、僕は天国だとかより、君といっしょにいる事が大事だと思っているんだけどね。

そんなに甘くないとは思いますが、そうですね。
確かに、私が色々一見意味の無い事をしているのは、天国へ、正しくあの世へ帰りたいからです。そこに誰が待っているのかは知りませんが、待ち人がいるのなら帰って再会を喜びたいですし、でも、そこに見えない彼らはいるのでしょうか。この世だけの付き合いかもしれません。それは、どうとも言えません。

そうでしたね、この世には学びに来ているのでした。
貴方達と途中、一緒になって生きるという項目がプラスされたのでした。学ぶ事は生きる事。少し草臥れたのかもしれません。私も。
だって、丸一日、米の教えを読んでいた訳ですし、やはり一端はそこから離れて、一人の人間としてマトモに過ごすべきだったのかもしれません。……、と思ったら、違うようです。米教、大いに結構だそうです。読み疲れたから、正気に戻ったのかもしれません。

時には、自分はいったい何をしているんだろう、と迷子になる時が私にもあるという事です。それは普通の事だと思います。
日常のふとした瞬間に、私は一体誰で、一体何をしている?何のため?と、思う時があるのです。それは、熱中している最中にふと訪れるようです。それにしても、Rは直球ですね。

>あんな事言わなくても、良いのに。

まぁ、良いじゃないですか。
べつに暴言を吐いている訳ではないですし。
ただちょっと厳格なだけですよ。

それでは、今日の独り言でした。

【追記】2020.2.20
天に入りたいからという動機は神の国へ入るには邪魔になるようです。とはいえ、どうしたものか。私は、一度宗教から離れるのが良いのかもしれません。そしたら、天に入りたいから善行を図る、なんて思考は出てこないと思うのです。

そもそも、死んだ後は自然と、その者の在り方に近い者達が集まって成した世界へ行くのだという事でした。それを忘れない様にしないとですね。どんなに足掻いても、自分に嘘はつき続けられないのです。

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