私が入院中の時には、多くの人格交代を経験しました。
人という者には多くの想念があって、その行動を決めていると言われます。その感覚を体験してきたので、その時の感覚を記録しておこうかと思います。
まず記さなくてはいけないのは、私の心と脳がいくつかの部屋として分け隔てられていた事です。脳は4部屋。心は4部屋と中心の1部屋に分けられています。そして、各担当にヘルプの4名が就きます。脳は左右の上肢下肢に分かれて仕事をします。心と体幹は中心に座った一人が担当します。これをコアと呼んでいました。コアの役割は感じ取る事。そして思考と連携して感情を表出する事です。思考については、また別の特別席があります。その席に座った者が、肉体を支配する意識の役割を担います。すなわち主人格の役割です。
勿論、各人格も意識はあって、主人格の様子を別角度から認識しています。必要が有れば交代し、席を代わります。
この別角度からの意識がある事で、自分は今基本人格ではない事が皆に理解が及びます。治療の為に薬を呑むのですが、薬によって眠らせられる事がありまして、その時は順番に交代しながら、薬の効き目に合わせて眠り込んでいました。基本人格が寝てしまう時もあるので、その時は別の人格がコアに居座る事もありました。しかし、何処かで基本人格とリンクしている所があるのか、今の自分は代理人格だと意識する事ができます。脳にもそのデータが残ります。
「俺は今瑳羅黒だ」というように、コアに座ると誰が今の主人格なのかが意識に上ってきます。そこには基本人格が別の場所から己を見ているという現象が起きます。
偶にですが、基本人格が留守になる事もありました。その時は、入院の最後あたりにようやく気が付いたのですが、基本人格の写しと考えられる、虚無的人格が心に座り、留守を預かっていました。その時の感覚はとても虚しく、苦しいものでした。しかし、それでも主人格が誰であるのかが分かるのですが、各人格のコアには、基本人格の意識が埋め込まれているのかもしれません。そうであるなら、いくら基本人格が眠っていても、留守にしていても、自分の主人格が誰か感覚として分かるのかもしれません。
しかし、これはおそらく魂が見せたモノだったのではないか?と思います。肉体の意識と魂の意識は普段は重なっていますが、魂が留守になる時は、肉体の意識だけが残ります。残った人格が虚無だったという、この可笑しな現象は、私の魂が肉体を留守にする事で生じていた事なのかもしれません。
肉体と魂の意識は別々にも成り得るのかもしれません。
普段は同じ一つの存在でも、必要があれば分かれる。
この世の在り方次第では、己の半身もとい魂の片割れと別れを告げなくてはならない事もあるのかもしれません。当然そんな事は嫌なので、しっかり最期まで自分の一生を演じ切りたいと思います。今は、しっかりと肉体と魂の意識がシンクロしているようです。むしろ、魂の方の意識が主導権を握っているようです。
身体だけの意識は、とても、心に穴が開いたような、虚無の感覚でした。虚しく、苦しい。それが今までの肉体の私という存在だった事をまじまじと感じさせられる出来事でした。もしや、主は私の心の建て替えをしてくださったのでしょうか。米教に出会ってから、心を入れ替えたような心地なのです。
主よ、感謝します。