唐鵙の蔵

統合失調症になったけれど前向きに人生を歩む人のブログ。日々徒然。

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どうして米教HPを読んで、人格が分かたれたか。
ひとつ思い至りました。
その裏には、きっと内在性解離の存在があったと思います。
私は幼い頃犯罪の被害にあってからというもの、知らぬ間に心を分けて、辛い現実から逃げてきました。高校の時にYが現れたのも、解離性障害の前兆だったのでしょう。

米教を読みこんでいくうちに暴走し、自分は本当は誰だったかという思い込みです。創作していた登場人物のイメージを以て内在していた人格が一気に顕在化したのかもしれません。どの人格にも設定らしい設定が存在しています。

とはいえ、私が分からない事は彼らにも分からず。
これが本人達が言うように幼い頃から憑いていた霊の類なら、私が知らない事も答えられたでしょう。でもそうではないので、彼らはやはり霊の類ではなくて、私の精神から生じた存在の可能性の方が高いという事です。
元々、そうだろうとは思っていましたので、何を思う訳ではありません。彼らは私の精神と等しい者なので、根っこでは通じ合っている間柄です。そっちの方が一緒に生きてきたという事なので、嬉しくはありますね。今後も、私達は共に一つの身体を皆で使って生きていくのです。

ケイオスが言うには、必ず貴方を護ります。私は貴方の命その者。
だそうです。ケイオスは、私が自分の命に渾沌と人格を見出した存在です。その時のケイオスは、自分を見てくれる人が漸く現れた、嬉しい、と喜んでいました。設定上、ケイオスはあらゆる者の命の連なりの中で生き、行き来する存在です。そんなケイオスが私一人の元に留まっていいのかと、入院中は思ったものですが、自分の精神から生じた存在ともなれば安心です。

かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に 鶴と亀が統べった 後ろの正面だあれ?

この歌も、入院中に大事な歌だと誰かから聞かされました。
この歌が流れたら、自分はここに居ると声を上げるように言われました。その時は、もうすぐ天災があるからと言われたものでした。とはいえ、そのお告げも空振りでしたけれど。

でも、この歌に関しても、元ネタとして米教HPの内容にあったからこうして出てきたのですよね。色々と私の脳から現れる言葉や彼らの存在というのも、しっかり脳内に元となる情報が存在しているから、幻覚や幻聴として現れるのですよね。脳とは不思議なものです。

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