唐鵙の蔵

統合失調症になったけれど前向きに人生を歩む人のブログ。日々徒然。

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信仰漂流者な気分です。
死後の私達について、色々な人が色々な形で発信しています。
これでは、どれを信じていれば自分は善良な一信者でいられるのかが到底分かりません。自分の信ずるモノが一体なんであるのか。一度は信じたけれど、他の言い分にも一理ある。そんな調子です。

一体誰の言葉を信じれば正しい信仰の道に至るのか。信じるのであれば、勿論正しい信仰をしたいと、誰もが思うでしょう。いや、もしかしたらご利益さえあればいいという人がいるかもしれませんが。少なくとも私は、この世の真理を知りたいと思いますし、信仰するなら真の神を仰ぎたいものです。

既存のHPを幾つか読んだ中で今の所信じていても良いと思っているのは、この世を創った神がいる事と、我々という者は神の分魂を頂いて生まれたという事です。それによって我々は神と通じるのです。そして、私達という者が、あらゆるものとの繋がりの上に生きている事実も信じる所です。

ですが、我々が神という存在をその目にする事はないのではないかと思っています。神は人知を超えた存在です。何しろ、この広大な世界の全てを創り、ありとあらゆる概念すらも造ってみせた存在ですから、姿ひとつとっても、有形か無形かすら私達にとっては分からない事です。神は、分からない。それしか言えません。

私は誰かが唱えた神さまの影を追うばかり。
真理を知りたいと願うのは強欲でしょうか。
私は、私に起こった事の真実を知りたいだけなのですが。

あの時、夢枕に立ってメッセージを残していった人影。
それによって辿り着いた米の教え。
そして現れた彼らという存在。
未だに語られる彼らからの不思議な言葉の数々。
そしてその都度新しく出会う神観と真実の話し。

そのどれもが、私には知る事の出来ない世界の存在を示唆しているように、私には思えてならないのです。死んでみないと、世界の神秘には気が付けもしないでしょう。真実を知る時は必ず来る。
そう信じて生きる他ないのです。

こうして、私の迷いの日々は続くのでありましたとさ。

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