滑稽な事に、今、私は宗教から抜け出す事を目標にしています。
あんなに神さま神さま言っていたのに、と、義兄さんは可笑しそうでした。
私なりの信じるものが思い出されてきて、それはこうです。
人は生まれたから生きたいと思う。自分の生きた理由を欲する。
そういう生き物なのです。
この世を創ったのは神さまかもしれません。
でも、世界はもう神さまを望んではいない。世界が生まれるまでは神さまの手が要ったでしょう。でも、神さまに引かれた法則によって動き出した世界には、もう神さまの手は必要なくなったのです。神さまはただそれを見続けてきただけ。
神さまは寂しかったのです。時折この世にちょっかいを掛けてはその効果を眺めていました。もうこの世が保てない所まで来ても、神さまは何もする気はないでしょう。私たちは自由だからです。この世の破滅を持ち込もうとも、それも自由意思です。
勿論、見えない隣人はいます。神さまもいるでしょう。
でもそれは、いると信じる者がいるからに他なりません。
信じる者の中にこそ神さまはいるのです。
そうでなければこうしてモノを書けるものか。いいんだ。これで。
信じればこそ在るのです。
でも、私はやはり神様はいると思います。
今は出番がないだけで。