唐鵙の蔵

統合失調症になったけれど前向きに人生を歩む人のブログ。日々徒然。

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”そうでもない”という呪い

私は、自分の事を幸せだと考えている。生まれは家庭内不和では有ったが、母型の実家からの援助があって然程お金の苦労は(幼い時はだが)子どもに見せられる事はなかった。喘息持ちやアトピー性皮膚炎を始め、病弱で虚弱体質だった幼児期ではあったが成長するにつれ快方に向かい、何とか良く成った。今では健康体である。
そして、この統合失調症。それでも他の入院患者を見ていると自分はずっと安定した病状であるようだ。

……と、こうやって比べるから、”そうでもない自分”という中途半端な枠に自分を押し込めてしまう。とんでもなく大変な人間でないと、弱音を吐いてはいけないと、いつの間にやらそう思うように成っていたっけ。+-「世の人にも、同じような人はいるだろうか。仲間はここにもいるぞ/R」

入院前の生き方は、言う程切羽詰まってはいなかったから”言う程でもない”。
入院して診断がついても、他にもっと大変な人がいるだろうし”言う程でもない”

”言う程でもない”加減に、無意識に絡め捕られがちなんだなと考えが浮かんだ。どうにも昔からそうなのだ。他の人から「大丈夫?」と聞かれたら、それは「貴方、大丈夫には見えませんよ」という意味だと気が付くのに十数年も掛かった。その都度、私は”あえて言う程大変ではない”ので大丈夫だと思ったし、そう答えてきた。

そういう経験、皆さんも無いだろうか。本当は大丈夫では無いけれど、この程度で弱音を吐くだなんて恥ずかしいと考えて言葉を飲み込んだ事が。私も何度も有って、度々大丈夫だと思い込ませていくうちに、自分が大丈夫なラインを越えていてもその自覚が薄れてしまうようになった。そのせいで統合失調症にも陥ったし、本当に大丈夫ではなくなってしまった。

まぁ、そのおかげと云うか、統合失調症のせいで無理が出来なくなった。今は人生の中の健全な人間性を取り戻す強制リハビリの期間なのだろう。だったら、甘んじて受けようか、とそう思う。皆さんも、感覚や感情の鈍麻には気を付けて、素直に生きていけますように。

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