唐鵙の蔵

統合失調症になったけれど前向きに人生を歩む人のブログ。日々徒然。

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「症状の傾向」

私は、神様の存在を信じています。何故、統合失調症患者というものは似たような経過を辿るんでしょうね?

病院内でこんな事が有りました。
私の考えている事、私の元にやって来ている目に見えない存在が言うのです。

「貴方は凄い事を成してくれました。これで、私達は自由になれます。有難う」と。正直、意味が解りません。私はただの統合失調症患者で、そうだ、やった事と言ったら、彼らの言う通りに天への橋渡しなるものをしただけ。それも、症状ではないのでしょうか。でも、彼らは言います。これは本当に凄い事なのだ、と。もう一度言いましょう、意味が解りません。

家にいた時はシンクに水を出しっぱなしにしてお玉、箸を皿において「橋渡し」「お玉ですくう(救う)」なんて意味の分からない事もしましたし、ひたすら成仏できそうな音楽をかけて自分は植物を戸棚に乗せて床に寝そべり「涅槃」だ、なんてしました。本当に訳の分からない事をしたものです。

そうそう、そして病院での出来事でしたね。
それはこうです。私の元に誰か見えない者が訪れる。何か言う。
そうすると、なんと他の患者が事細かにその誰かとのやり取りを口に出して言うのです。「**さん、今度は~~なんですね。少し分けて下さい」といった感じです。ご利益を分けてくれとかなんとか、大体は物だったり、利益だったりします。それが一人だけでなく二人三人。意味が解りませんでした。

でも、それを症状にするならなんなのでしょう。集団妄想かな。でも、私は彼ら患者とは交流が有りません。目に見えない彼らとのやり取りだって、一切口にだして教えてはいません。なのに、そんな事が起こるのですから、謎です。

未だに、彼ら目に見えない者達は私に引っ付いて回ります。なんでそんな事をするのか、と問うてもよく判りません。答えてくれた事からするに、何故か私は「理想の人間像を追い求めているから」だとか「良い仁だから」とかいう答えばかりで、自分はそんな事無いといってもとんでもないだとか言って憑いてくるのを止めようとはしないのです。

あぁ、これも妄想なのかな。それとも、霊障なのかな、と思って、それだから私は霊媒ができる人に掛かってみたいなと思っているのです。

妄想の中で生きるのは、まぁ、私の場合楽しい事もあります、が、やはり何かと不自由でもあります。そんな私を導いてくれるのがY。Yは、私がIFや思念という概念を知るより前から傍に在って、見守ってくれた事を知っている人格です。

あぁ、勿論。AやR、Isの事だって良い導き手だとは思っています。
ですが、Yは別格なので。どうしてもこういう物言いになってしまいます。ごめんね、皆。

しかしながら、謎です。
私は、自己肯定感は低くないとは思いますが、高くもありません。
ただ、生きてるなぁといった感じを受けているだけのただの一般人です。いや、もう統合失調症患者ですけどね。でも、それも別に悲観しては居ません。なにせ、成ってしまったものはしょうがないので。自分自身になら少しだけ無責任な事を言うくらいいいでしょう。

そんな普通の人間に、貴方は素晴らしい、と言われても「なんだ?」と成る訳です。私は別に大それた人間じゃあない。それこそ、何処にでもいるつまらない人間でしかない、と私は思っています。テレビを見れば、私よりも果敢に物事に取り組む立派な人は山ほどいます。そういっても、彼らは私の元に居たい、のだそうです。これも、不思議です。なんでだろう、と思うと、私の一部ではなくて、人格から剥離した潜在的な自己愛の部分だから、なのかも……なんて。

もしくは、思念というものは、生み出した存在に深く関わる存在なのでしょう。証拠なんてものは挙げられませんけれど。

そして、彼らは言います。
「どんな貴方でも、構う。貴方は僕らの知っている貴方でいないと、僕達は存在できなかった。貴方だったから、今の自分達がいる。貴方が僕に言ってくれた事だ。僕という存在は、昔から今まで地続きな存在で、特に貴方に影響されて生きてきた。だから、今更他の存在の元へ向かうなんて事は何の意味も齎さない。虚しいだけだ」いや、これはYの言葉がメインでしょうか。私もYに同じような事を質問されて、同じような回答をした覚えがあります。

それなのに、私と来たらお馬鹿な人だったなぁと思います。今も、そうですけれど。「星に生まれて」で描いたように、私はその言葉や想いすら忘れて、Yに「元ある場所へ、行くべき場所へ帰って。本来の仕事をして」なんて言葉を言ったのです。Yは、相当なショックを受けたのです。そこからが教(今日)であり、可笑しな喜劇の始まりだったのです。

色々な存在に出会いました。色々な自分と向き合いました。色々な感情を味わいました。それは私の精神から剥離した存在だったのか、はたまた浮遊霊の揶揄いだったのか、今でも判りません。ですが、これも私の軌跡。何故と不思議がりはしても、否定をするつもりはあまり無いです。あまりね。

私は、相変わらず。肉眼で見えない者は全く以て見えません。けれど、文や言葉、絵などを通して彼らとのやり取りができます。多少は。
でも、それも私の妄想の中に存在する世界の一部なのかもしれませんね。でも、だったらだったでいいんです。その方が、諦めもついて、何でもない唯の一統合失調症患者になれるのですから。まだ、私の中で「非日常」に憧れる、そんな部分があるからこうどっちつかずになっているんでしょうね。

でも、不思議なのは、あの病院にいる患者達とのシンクロです。
どうして人間って可笑しくなると神さまやそれに連なる方々にぞっこんな脳になって、そんな言動を繰り返すようになるんでしょうね、私然り。私は別に、見える方やそういう界隈を否定するつもりはありませんので、悪しからず。ただ、不思議だなぁという思いが私の中にあるのです。
思考って、不思議ですね。

/唐鵙、Is、所によりY、R、A(皆丁寧語だと区別がつきませんね)

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