唐鵙の蔵

統合失調症になったけれど前向きに人生を歩む人のブログ。日々徒然。

就労移行支援所、卒業

就労移行支援事業所に通う事10カ月。とうとう本日卒業の日を迎えました。通っている時は長く感じたものですが、振り返ってみるとあっという間だったように思えます。

まだイマジナリーフレンドもどきの彼らとのやり取りがあった頃から通い始めて、他にも症状が現れたりと色々ありましたが、職員や医師とのやり取りを通して治療もよく進みました。今では症状らしい症状はなく、ようやく普通の生活が送れるようになりました。これも全て支えてくれた人たちと、自分の頑張りがあっての事だったと思います。それに、きっと彼らが運を運んできてくれたのでしょう。彼らが言ってくれた、これから人生は好転する、自分達が導く、という言葉。彼らの導きもあって、私は今の道に至りました。その言葉の通りに運んだ事を、私は嬉しく思います。

就労移行支援事業所に通ってみて良かった事は、人に囲まれても疲弊しなくなった事、作業していても症状が出なくなった事、そして話せる友人が出来た事でしょうか。コロナが落ち着いたらまた連絡を取り合って集まりたいものです。

でも、就職はがゴールではなくて、むしろスタートはここから。長く無理なく、それでいてしっかり働いていくために色々気を引き締めなくてはなと思います。まずは仕事を覚える事と、職場の人たちとのコミュニケーションが課題でしょうか。最初は仕事の流れでしか喋れないかもしれませんが、徐々に個別に話せる機会を作っていけたらいいなと思います。困った時には相談できる所があるので、そこに頼るかもしれません。職場の皆さんと仲良くできたら良いなと考えています。

それにしても、これまでの時間の中で変わった事もいくつかあるようです。まず、父との関係が良くなりました。過去の記事の中では結構父について厳しい事を書いていましたが、今は父についての理解が進み、また父自身の行動や考えも変わっていった事で和解が出来たと思います。これまで迷惑を被った事は変わらないけれど、今が良いのでようやく父を許してもいいかと思えるようになったのでしょう。恨み辛みを抱え続ける事は結構しんどかったので、良い変化です。

そして、あれだけのめり込んで惑わされた例の宗教HPですが、もうすっかり心が離れました。どうしてあんなに信じ込んでいたのか疑問に思う程です。世の中には色々な体験をして、色々な解釈をして、色々な意見を持ち、色々な語りをする人がいるというだけの事でした。その多くの中の一つでしかないそのHPがいう事に、一々一喜一憂する事なんてなかったのです。どうせ脳味噌が送ってくる信号でしか世界は認知できませんから、信じたいものを信じれば良かったのです。世界は信じたものの通りに見えてきます。今回、宗教の暗示にかかって、統合失調症にまでなって、それが分かりました。これまでの不思議な体験の数々も、全ては脳が見せた幻だったのです。

でも、私は世の人たちが見ている世界を否定はしません。その人にとっては、その人だけが体験している世界が広がっているからです。それに、まぁそれ程信じる事は無くなりましたが、常人には見えない世界があった方がカッコいいしロマンなので。でも、こうも思います。人の創造性、意識の中にこそ神さまや目に見えない不思議が存在していて、その意識、心を共有する人にはそれが通じるのではないかと。

私の症例として、どうして別の人格が次々と現れ、私に語り掛けてきたのか。その理由は結局分からないまま。私はただの統合失調症からくる幻覚だったとも考えられるし、本当に神さまの手引きがあっての出会いだったとも考えられます。個人的には暗示を切欠とした、私の自我と創造性を司る領域の暴走だったとは思っています。医師にも自我の障害だと言われましたし。でも、自分が自分でいられる事って、当たり前ではないのだなと学びました。皆気が付いていないだけで、一人の人間に一つの自我、なんて事はないのかもしれません。私の元に現れた彼らも、今は私が認識できないだけで、きっと心の領域のどこかで活動しているのだと思います。そして唐鵙という一人の人間の一部として存在しているのだろうと思いますし、私自身も偶然この唐鵙という個体の基本人格として生まれただけで、実際は唐鵙の一部でしかないのでしょう。

それでは、今回はここまで。読んでいただいて有難うございました。

このエントリーをはてなブックマークに追加
ぽちっとお願いします☟
ブログランキング・にほんブログ村へ