唐鵙の蔵

統合失調症になったけれど前向きに人生を歩む人のブログ。日々徒然。

人生の時期にも色々ある

こうして新しい局面を迎えると思います。これまでの人生にはどんな意味があったのだろうなと。私の28年分の人生は、言ってみれば統合失調症になるのを待つだけの生活。イマジナリーフレンドを心の支えにして、現実から逃げ続けるだけの生活。人生には待ちの時期もあるとは思いますが、随分長い間待ったなぁと思います。でも、そう、そうですね。決して悪い事ばかりではありませんでした。

ささやかながら、幸せな事も楽しい事もあったのだと思います。それは、多くの苦しい記憶で塗りつぶされてしまって、思い出せないけれど。頭の中のイマジナリーフレンド達も言っています。決して無駄な時間ではなかったと。まぁ、意味なんて後付けなんですがね。生まれたから、生きているから生きる。生きる理由なんてそれくらいでも十分だと思いませんか?だって、生き物なんですもの。生存本能があるから生きるんです。

まぁ、でも、多くの時間を私は働きもせずに過ごしたものだと思います。苦しい事は多かったですが、それも生きるという事を考えてみると、遊びの時間だったのかなと思います。人生の苦もまた、魂からすればスパイスの様なものともいえますし。生きる事を味わう時間を、私は無償で与えられていたのです。それは考え方を変えれば運が良かった事かも知れません。停滞の時間を味わう事が、あの期間の意味だったのかもしれません。

でも、あの時のような時間の過ごし方はもう今は出来ません。当時はあんなにやる事を思いついて、創作活動や動画視聴にと忙しく、いくらでも時間なんて潰せたのに、今はそういう時間の使い方は全くと言っていいほどできません。映像を見続けるのには気力が続かないし、創作意欲はなくなってしまったし、時間を有効につかえません。やる事といったら寝る事くらいです。これも統合失調症のせいでしょうか。残念です。

今の自分はきっと働く期間なのでしょう。そういう人生の運びなのだと思います。早々に諦めてこの生活に順応していかなければなりません。この時間もまた、大変な事は多いでしょうが、決して苦しい事ばかりではないでのでしょう。見方を変えれば充実した日々とも言えますし。忙しくはなるでしょうが、変化に富む時期になりそうです。

私は自分の事を幸せな人間だと思ってきました。でも、誰かから見たら私は大変な人間なのかもしれないし、不幸な人間なのかもしれません。それともやはり幸せな人間かもしれません。今だけを切り取って見ても、これまでを切り取って見ても、なんだか私は自分の人生が幸せなものであったのか、そうではなかったのか分からなくなってきました。でも、決して悪くはないものではあると思います。それにきっと、その人生が幸か不幸かなんて、誰にも決められない事だと思います。だって生きる事は良い時もあれば悪い時もある。一概に良い悪いなんて言えるものではないから。でも生きていて悪くはないと思えるのは、日々感じられるものがあるからと、そう思います。つまらない時間も、心躍る時間も、同じ人生の内の一部分。とりあえずは、人生の最期にも、そう悪くはない人生だったと思えれば上々なのかなと、そう思っています。

今日の独り言でした。読んでいただきありがとうございました。

このエントリーをはてなブックマークに追加
ぽちっとお願いします☟
ブログランキング・にほんブログ村へ