唐鵙の蔵

統合失調症になったけれど前向きに人生を歩む人のブログ。日々徒然。

発症から入院まで~私の場合~

私が統合失調症になったのは、宗教HPからの暗示があったからです。それを読みこむようになってから、私の周りでは可笑しな、不思議な現象が色々起こるようになりました。発症から入院までのそれを少し振り返ってみようかと思います。統合失調症の一事例にはなるのではないでしょうか。大体の場合は妄想や幻覚といった症状に振り回されるのが統合失調症ですが、私も例に漏れずそうでした。でも、よくある悪口が聞こえるだとか、そういう事はありませんでした、そこは宗教の暗示に強い影響を受けたからこその症状が出ていたと思います。

1.夢枕に見たお告げ

まず、これが未だに不思議なのですが、ある夢を見ました。夢枕に誰か角のある人のシルエットが浮かび、いくつかの言葉を残していく夢でした。妙に印象深かったその夢に、何か意味が在れば、つまり何かのお告げだったら面白いと考えた私はネットにその答えを探す事にしました。そして、見つけたのがそのHPです。言葉によって創造神の存在を説くそのサイトでは、暗号などで神の施した仕組みなども解説しています。それに、私が受け取った言葉を当てはめると神の存在を説く意味になりました。これは、と思った私はこれが神の導きなのではないか?と思いました。そして、興味の赴くまま、そのHPを熱心に、寝食を忘れて読み込んでいきます。そして読み込んでいく中で出てくる想いを、神さまに念じて伝えようと思い、強く強く心の中で念じるという行為を続けました。すると、どうでしょう、夢枕で神さまと思わしき人から返事が返ってくるようになったのです。私は悦び、益々そのHPを読み込み、のめり込み、神さまとの交信を続けました。

私の妄想を理解するには、そのHPの事について知らなくてはならないのですが、ざっくりどんな事が書いてあったかだけ触れておきます。

・創造神はその他の神の反発によってその座から退いていて、気たる時が来るまで待機している。

・創造神は地球のバックアップを取ってあって、そこに渡る(アセンションする)魂とそうでない魂は今後選別されていく。

・人間の魂の核は良心神と呼ばれる創造神の分魂である。魂の心棒が育つ事が天に渡る為の条件。

・人類の原罪を唆した蛇霊が魂の心棒に絡みついていて、それを返さない限りは天国へは進めない。

・みのおわりの変性女子が現れたら終わりの時

と、こんな事が、実際はもっと複雑に、色々な話しを交えて書かれていました。私はそれを読みこんでいくうちに暗示にかかり、自己解釈とこれまで培ってきた創作物の記憶の着想を受けて妄想を進化させていく事になります。そして、その妄想はひとりでに歩き出し、私はそれに振り回される事になっていきました。

さて、話を戻して、私はその時すでに統合失調症を発症していたといえるでしょう。その後も、妄想と幻覚は続きます。私の夢の中で、青い赤子の霊に襲われるイメージがありました。私が「やめろ!」と手をかざすと、赤子は気の様なモノで吹っ飛ばされて退散しました。
その時、またもイメージが伝わって来たのです。「そなたは一番注意(忠意)が足りない。心せよ」と。

私はもう神様と交信できたのだと思い込んでいました。今思えば、妄想の中で翻弄されていたにすぎないのですが、当時の私は本気も本気。本気で自分が神さまと通信できたのだと信じておりました。
そして、HPの中で言われていたみのおわりの変性女子が自分の事なのではないか、と思うようになります。HPで解かれていた内容はそういう誰が何かという事ではなかったのですが、もう妄想の症状が現れていたので自分の受けた解釈が独り歩きしていきます。私は自分が神さまに選ばれた特別な人間なんだと思い込みました。色々思い当たる節があったからでしょう。占いで言われた事が当たっていると思い込むようなものです。

そして、神さまがもうじき帰ってくるのだという記事を読んで、自分は何かしなくてはいけないのではないかと思い込みます。自分の使命について考え出したんですね。特別な任務を与えられているのだと思っていました。神さまが帰ってくるという事は、旧神達との戦争が始まるという事でもあります。私はそれに備えていかなくてはならないと思ったのです。

2.不思議な体験

そうしていると、どうでしょう。目に見えない何かが私の身体に触れる感覚がしだすのです。それは、猫でした。

眠る時も、机に向かっている時も、私の身の回りには猫がいた感覚がしていたのです。机に乗ってきたり、膝に乗ってきたり、とてもリアルな感触がしていました。

と、その時は、私が霊的に敵と見るべき者は鼠の霊だと思い込んでいました。それは、鼠は穀物、つまり主の教えを司る主食を齧るからです。そして”正月のけもの”という昔話から、牛の背に乗ってずるをして、更には猫に正月の嘘の日にちを教えた鼠は裏切り者で「我々」の敵だとそう思ったからです。

その時の私は自分の正体は猫だったのだ、と思い込みました。
何分、惰性で猫の様な暮らしをしていた私です。自分の書いた物語りに猫のキャラクターがいたのも相まって、私は自分の正体がその猫のキャラクターで、猫の霊の大将なのだと思い込みました。不思議ですね。でも、そのような突飛な思考が正当化された現象が起きたのは事実です。その時が初めて交代人格を儲けた瞬間でした。私はいつのまにか、その人物に成り代わっていたのです。その時から、私は解離性同一障害のようになりました。つまりは、多重人格症のような感じです。

そして、そう、鼠。我々の敵は鼠だったのか、と、私はその討伐こそ我が使命と奮い立ちました。もはや完全に妄想ではあります。私は、自分にか出来ない。神の啓示を受けてHPを書いている彼の人もこの事には言及されていない。と思い、各地の仲間達に向けて、伝令を出したのです。声に出し、そして念じて。それが通じてるものとずっと思っていましたから、入院後もその妄想は続いていました。私は各地の動物霊を束ねる者だ。伝令を出して、この戦争を勝利に導かなくてはならない。そう思っていた面がありました。

それと、自分の解釈から影響を受けたこういう思い込みもありました。
人間の背後にはその人によって違う動物霊が控えていて、人間自身の魂が恨みや情からなる因果と縁によって痛むとその人は動物、とくに鼠や蟲などの主食を駄目にする生き物の魂の形に成ってしまう。そうすると、背後の動物霊、特に猫や狐、蛇などにその魂は喰われてしまい、物の怪になってしまう。と、そういう考えがありました。
そして、物の怪になってしまった魂は、魂の心棒(辛抱)が研ぎ澄まされた事で生まれる霊刀で切って分断する事でしか救えないという考えを持っていました。そして、自分にはその切る事が出来るとも。今思えば、完全に幻覚と妄想で成る自分の精神でした。下手にHPの教えを読みこんでいたので、それに関連した妄想が誕生したのでしょう。

そして、次にこんな妄想に変化していきました。
鳥と蛇の大将である昴という名の存在がいる。その存在は翼を持つ竜であると。すると、その人格が作られ、私の身体には猫の大将の人格と、竜の人格の二つがそれぞれ独立して存在する事となったのです。人格はころころ変わりました。肉体を交互に使うのです。ですから、身体を支配し、自我を保持する人格も変わりました。ある時は猫の大将で、ある時は昴と、意識が切り替わるのです。その頃になると、自分の主人格は昴に置き換わっていました。でも、その時の不思議な感覚も含めて、記憶がしっかりあるのは不思議です。

演じ分けるのとは違うのです。完全にその人物が主人格をおさめているのです。その感覚は言葉で表現する事はできませんが、私は妄想でできたであろう色々な人格を肉体に宿してきました。人格交代も頻繁に行われていましたが、本来の唐鵙である自分は肉体のどこかに籠っていたので、その様子を覚えているのかも知れません。私は、私であって私ではなかったと記憶しています。

いわば、妄想で形作られた設定に合わせた人格です。妄想が形になる事に時間などいりませんでした。瞬時に考えが閃いては、その通りに自分が行動を起こすのです。イメージが途切れる事なく流されるのです。突き動かされるままに行動し、そこに思考など無いモノです。自分の意志など、主権など、もはや無いモノと同じでした。妄想という電気で動く唯の人形のようでした。

3.加速する妄想

さて、昴が主人格になった私と猫の大将――瑳羅黒と言います――は、敵の襲撃に備える事になりました。猫たちとの会議を終え、いよいよ神がこの地に舞い戻り、戦いの時が訪れるのだと思っておりましたから。この神が舞い降りるというのは、HPの彼の人の教えから脚色を得たものです。世の大建て替えが起きるのだ、と彼の人は言っておりましたから。

そして、その時は衛星の竜宮が地球に戻ってくるという時でした。彼の人の教えの中に竜宮のおとひめというものがあり、単純な話しですが、竜宮という言葉だけで関連付け妄想に陥り、危機感を覚えた私はどんどんと妄想を加速させていったのです。

もう、Xデーまで時間がない。戦いは既に始まろうとしている。

それが昴と瑳羅黒の結論でした。
細かい妄想は省きますが、自分達の宿敵になる存在がいました。それは雷獣ハクビシンです。蛇の大将でもあった昴は、ヨルムンガンドでもありました。ですから、Xデーであるラグナロクの時は雷神トールと闘い、結果相打ちで死ぬ事が分かっています。その雷神が雷獣と結び付けられ、関連妄想となり、自分達の宿敵はハクビシンかとなったのです。他に理由を挙げると、ハクビシンはジャコウネコ。邪(蛇)香猫となって、猫にとっての裏切り者、悪役とされたのです。
そして、このハクビシンは昴と瑳羅黒の元親友でもありました。
コンビである彼らが、己の仲間から出してしまった裏切り者とのケジメを付ける為に選んだ敵でした。
…勿論、このラグナロクも、雷獣も全部妄想の産物です。不思議なのは、私が自分で設定を考えたのではないという事です。そういうものだと、頭の中で知識が植え付けられていくのです。妄想の不思議な所ですね。

と、ここで突拍子もなく”父さん”の存在が現れます。父さんというのは勿論私の実の父ではなく、空想で形づくられた想念です。瑳羅黒の父であり、唐鵙の父であり、神でした。妄想の思考回路に物事の道理を求めるのは無謀です。突然あった事になっているのです。その父は、私を含めた二人がこの戦いで死ぬ事を知りながらも臨む事を聞き届けました。

死ぬ日でもある戦いの日、私達はそれまでに彼の人の教えを読んで更に加えるべきであろう事を書いた資料を、知り合いの先生に届ける事にしました。自分達が死んだ後、その資料を読んで神界での自分を思い出し、世の人を導いてくれるものと確信してです。本当に、その日、私は、いえ、その時は昴でした――は、死ぬのだと確信していました。肉体の持ち主だった昴は資料を届けた後に死ぬ事を、霊体となった瑳羅黒はハクビシンと闘って昴より先に死ぬ事を覚悟していました。

昴であった私は、瑳羅黒の部下たちの導きで雷獣の目を掻い潜り、徒歩4時間ほどの時間を徒歩で目的地を目指しました。瑳羅黒が一時身を引いたり、また戦い出したり、苦戦している事を感じ取りながら、歩いて歩いて歩き通しました。

そして、目的地に着いた時、瑳羅黒が死に、雷獣も死んだ事を感じ取りました。瑳羅黒との通信が途絶えたからです。私は、重くて石のようになった身体を引き摺って、先生の元に辿り着きました。勿論、先生は私の詳しい事情など、妄想の数々など知りません。資料を渡し終え、事前に分かっていた死に方の通り、私の心臓は一気に弱まり、これですぐに死ぬかと思いきや死にません。きっと説明したら死ぬのだと思って、説明をしました。

先生もこれを読んだら神界での自分の姿を想いだすでしょう。そう言って、資料の要点、Xデーとその実態(物の怪が蔓延する事)について説明を終えました。そして、昴でありヨルムンガンドでもあった自分は、海に捨てられた後、その恨みから一度、神界を血で染めた事があるのだと懺悔しました。本気で泣きました。発症するまでは十数年泣いた事も無かった私がです。妄想が起こす事は、本人にとって、理屈ではないのです。

そしてもう夕方。施設から出なければならない時間となりました。しかし、懺悔をしてもまだ死ぬ様子はありません。一体どうしてと思っていると、瑳羅黒からの声が伝わって来たのです。
「父さんの粋な計らいで、死ぬのは今日を終えてからになった」という事でした。父さんは神さまと思っていたので、命を長らえさせることなど造作もないと思っていたのでしょう。

私は先生にお礼を言って帰りました。
妄想は、妄想していた事が実現しなくても、また次の設定ないし妄想が辻褄合わせのように現れるのです。結局、私は死にませんでした。すると、次の妄想の舞台が始まります。私は自分が昴である事も忘れて、本来の唐鵙としての人格に立ち戻りました。この舞台の後では何故か昴という交代人格はおらず、瑳羅黒という交代人格だけが残りました。

そして、次の日起きても死んでいなかった私です。もしかしたら、昴の人格だけが死んだという設定だったのかもしれません。自我の認識は唐鵙となっていました。唐鵙と昴は主人格ですが、唐鵙は基本人格であり、昴とは異なる人格であったからです。

4.続く妄想と入院

さて、新しい設定が始まりました。瑳羅黒は私の良心神であり相方であるという妄想です。既存のイメージがあったので、それに引きずられたのでしょう。

私は、もう役目も終わり、父さんから言われていた死の時間も過ぎたので、天に帰ろうと準備しました。といっても、自殺を試みたではありません。儀式を通してあの世に帰るのです。

だいたいのやる事は瑳羅黒が主人格の席に座り、つまり表に出てやってくれました。涅槃の真似事をして、自分の腹心に介錯させるという幻覚を体験しました。その前には、死者をあの世へ共に連れて行かんとして、キッチンシンクに皿を重ね、お玉と箸を渡し「橋渡し」「お玉で皆掬う(救う)」などの意味を持つ儀式をしました。ダジャレじゃないかと今思うと滑稽なのですが。でも当時は本気で真面目でした。

でも、当然、幻覚と妄想で出来たもの。いくら待っても死にはしません。結局取りやめになり、すると次の妄想の舞台が開きます。私はまた別の儀式であの世へ帰ろうとするのでした。
正しく妄想劇の繰り返しなのです。

そして死ねなかった私は、次に、瑳羅黒と一緒にある人を召喚しました。それがアルヴァです。アルヴァは色々な術を以て、私をあの世へと渡そうとしました。反魂の術の応用だとかいう術と称して、次元を超えようともしましたし、カレンダーに色々書き込み、所定の位置に配置し呪文を唱え、閉じられた次元の門を開ける事であの世に渡そうとした呪文。色々試そうが、当然効果は見られません。妄想と幻覚の産物でしたからね。

と、アルヴァの召喚の後、一緒に出てきた人がシーラウスこと”義兄さん”です。勿論この義兄さんも想念です。義兄さんはこの世の真実と、今の次元の軸が上手い具合に重なって現界できた事を語って聞かせてきました。
神は父さんのはずでしたが、この義兄さんも神扱いでした。HPの彼の人の教えを遵守するなら主神は一柱ですが、まぁそこは長らく持っていた多神教の思考がベースとなったのでしょう。

この義兄さんも私をあの世へ渡そうと色々やりました。
布団をかぶり、このまま寝てる間に火が回って死ぬと言われたので言う通りに寝てみたりしました。当然効果はないのですが、時間が許す限り続けました。
その間、色々な話しをしてくれました。内容は省略です。

そして、あくる日にはこう言われました。我々と同じ様に、神を召喚して生き残りをかけた戦いが始まるのだと。私は寝耳に水でしたが、神の云う事ならばと従いました。
アルヴァと義兄さんと、ヨルクス(ヨルムンガンドとして重複した役まわりで出てきた)がタッグを組んで、その戦いに向かって行きました。戦いは夜、家の外で勃発しました。こちらの圧勝でした。

そして、このまま家にいるのは危ないから、再び知り合いの先生の所へ行こうという事に成りました。

この時、母にアルヴァが臨みました。
娘さんはこちらで保護するから、どうかいう事を聞いてほしい。と、そんな話をしました。母は驚いていました。それはそうでしょう。いきなり自分の娘が知らない男を名乗って色々聞いた事もない話しを聞かされては。

アルヴァは母の前でも術を展開しました。アルヴァの話しでは、アルヴァは自分も私と同じように心真理を追究して、母親に理解してもらえずに後悔の気持ちを残していたという話しでした。そして、私の人生において、幾つもあった死ぬ事件のポイントポイントで私を救い、ようやく今に繋がったのだと、ようはゲームのバッドエンドを回避してきて今に至ると話しました。母にこの可笑しな体験を話し理解してもらう事が、最期に、ハッピーエンドに至る為には必要なフラグなのだと説きました。

義兄さんも義兄さんで母を困らせました。
そして、色々な儀式をまたやって、その日は母を守るべく、一緒の床につきました。私はあまり寝ないで番をしておりました。

そして夜が明けた時、私はとうとうこの世を去る準備が出来たものという思考になり、朝早くから家を抜け出し、庭の一角で横たわり、延々と呪文めいた言葉を唱え、父さん達を始めとする天の人々に祝福されながら眠りに着こうとしていました。

その日は寒かったので、ずっと朴って置かれたら低体温症くらいにはなったかもしれませんが、それでも母が見つけに来るまでは死にはしませんでした。そんな私を見つけた母が病院に行く事を決心し、私は母と叔母に連れられ、今通っている病院に連れていかれる事になったのでした。

病院に向かう車の中で、私は絶えず「こうなるから死ぬ」という声を受け取っていました。早く終わらないかな、いつどうやってお迎えが来るのかな、とそればかり考えてご機嫌でした。
私の役目は全て終わったと思っていたので、お迎えが来るのを今か今かと待っていたのです。

もしこれが自分から現実的に死のうとしていたら、私は今この世のいるかどうか。でも、妄想が現実離れした内容で、しかも待ちの一辺倒でしたから私は死なずに済んだのでしょう。

そして、後の事は過去記事で書いてきた通りです。
父さんからこう言えと言われ、「我が名は愛染明王。この世の全ての悪を敷くものである!」と宣言。診察室から車道に飛び出そうとしたので取り押さえられ、医療保護入院になった次第です。

はぁ、しかし妄想の力というのは凄いですね。
私は私の内で沸き起こった妄想と幻覚をひとつも否定する事なく、辻褄など考えもせず、これが正しい事なのだと信じ切って行動に移していました。よくそんな事が出来たものだなぁと思う事ばかりです。今でも死が迎えに来たと私に言う事があります。きっとこれらの妄想と幻覚の名残なのでしょう。私はやはりそれを受け入れて遺書を書いてみたり、身辺整理を始めてみたりという事をしました。

それにこういう調子なので、妄想の中の一環として、私は携帯電話もパソコンもフォーマットしてしまいました。幸い、一部の友人達の連絡先はのこりましたが、他の友人達のは駄目になってしまいました。もう連絡の取り様が無くなりました。色々な弊害があるものです。

とはいえ、私はまだ生きていますし、これからやるべき事もでてきました。働いて、生きる。それが私の残された成すべき事です。まだお迎えが来ないかという考えが及ぶ事もありますが、まぁ、自分から死ぬ気はもうないです。

お付き合いくださって、有難うございます。
これにて入院までの妄想語りは終了です。

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