唐鵙の蔵

統合失調症になったけれど前向きに人生を歩む人のブログ。日々徒然。

私の世界と神さま

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私は、入院中の学びで、自分という存在が決して一個の意識で成り立っている訳では無い事を知りました。普段自我に隠れて見えないだけで、その裏には多くの人格が隠れて存在しているのです。想念とも言うでしょうか。

人間は無意識に色々な想念を生み出しながら生きています。自分の世界の中にいくつもの想念を見出して、自分の世界にインプットして、その自分がカスタマイズした世界を見て、その中で生きているのです。

私の世界と神さま観

そんな私の世界はどんなものか、というとですが。
私の世界には、まず神さまがいます。神さまは神性を見に付けた人間の魂の中に宿るようになり、その魂を通じてその人間を見守っています。本当はどの人も等しく神さまの分魂をもっているのだけれど、それに気が付く人は少数です。

自分の良識を育てる事で神さまに近づき、その魂はより高次の存在になっていきます。「私」は神さまでもあり、神さまは「私」なのです。なのでどの人も等しくその存在を尊重される権利があり、神さまである自分をも尊重し愛するという事をするのです。

 

神さまというものは、いわばこの世界そのもの。あらゆる自然物や生きとし生けるもの、その全てに宿っています。神さまは、複数存在していると同時に、一個の存在でもあります。物質としての在り方なんて超越している存在なのです。

なので一神教も多神教もどちらも間違ってはいないのです。神さまはひとつであっていくつも存在するからです。そして、神さまはその人間の心の有り様によってその在り方を変えます。私にとってのイマジナリーフレンドがかつて神さまだったように、私には私の神さまの形が存在しています。随分と気安い神さまですが、神さまの在り方は多種多様ですから、そういう事もあるでしょう。

 

神さまとの邂逅

私は、神さまの導きがあってここまでやってきました。
一度駄目になった精神を壊して、病気になって、入院して、治療して、また再び自分という人格を見つめ直して、色々な「私」という存在の片割れに出会って、自分というものを認めて、愛し愛されて。もうこれ以上頑張らなくていいと言われました。

今まで正しい願いをしてきて、善良な存在だったからと、神さまは私に祝福してくれました。今までの自分が認められた事と、自分という存在を魂からまるっと肯定されて、愛を貰って、私の精神はそこでようやく安らぎを得る事が出来ました。

こんな自分でも良かったんだと色々な目に見えない存在から肯定されて、私の心は前向きに作り直されました。今まで抑圧されてきた自己愛が、ようやく解放された感じでした。


私の神さまについて

私の神さまは過去に大きな過ちを犯しています。
満月の夜には豹変してしまうので部屋に閉じ籠っていたのですが、ある日うっかり鍵をかけ忘れて、天の人々を残らず血祭りにあげてしまったのです。殺されても生き返る天の人々は神さまを嗤って許しましたが、神さまは深く傷ついて、自分を許す事が出来なかったのです。

特に、たった一人の親友をその手に書けてしまった事を、深く後悔していました。そして、何度もその悲劇を回避しようと、カゲロウデイズのように同じ日を繰り返すのです。でも、回避できません。何度やっても、悲劇は起こるのです。

その時の悲しみや苦しみを、入院中、私の身体を使って言葉と文章にして懺悔しました。神さまと一体になった私は悲しくて苦しくて、実際に大泣きしました。何年も泣けなかった私がです。

 

神さまは、私の事を娘だと言っています。娘の私がたったひとり豹変した神さまから逃れたのだそうです。地上に落ちたから。神さまは最初、地上に落ちた私の事など何の気にも留めなかったそうです。それが、私の事に気が付き、その様子を見ているうちに変わっていったのだそうです。私の愛する娘、と言われました。

感情がテレパシーのように伝わってくるので、どれだけ神さまが私の事を愛しているかが伝わって来て、これまでそんな愛情を感じた事の無かった私は、それだけで癒されたものです。

 

ちなみに、私の面識がある神さまは一人ではなく、もう一人います。
その神さまは、私が精神の統合を崩してすぐの頃に出会った神さまです。
世界の時間軸や空間軸などがたまたまぴったりあった時期が来て、恥ずかしながら、次の神さまの候補としてコンタクトを取って来た、という体でした。

その神さまが今のシーラウスなのですが、シーラウスは私を妹だといいます。
私もシーラウスを義兄さんと呼んでいます。色々と面倒を見てくれて、病院でも身体を張って、私を護ってくれていました。

入院していた当時、私は自分をヤマタノオロチの生まれ変わりだと思っていた時期があって、義兄さんはその一部でした。過去にやった罪から、他の悪神達にいいように使われているという状況に身を置かれていたのですが、義兄さんはもう妹を好き勝手にするのは止めてくれと言いました。その結果、病院内を前転して回れば許してやると言われてそのようにするのですが…まぁ、閉鎖病棟に逆戻りになりましたけどね。

でも、そのおかげもあって、私はそれまで持っていた色々な人への罪悪感をきれいさっぱり拭う事が出来たのです。特に、母に対しての罪悪感が許された、と感じました。これまで碌に働きもせずにいた、というコンプレックスが強かったので、親不孝だと自分を責めてきました。それが、シーラウスの行動で罪を許された、と思う事が出来たのです。意識の転嫁でしょうか。

 

神さまと出会うと人生変わります

そんな訳で、私の人生は、神さまと出会った事で確実に変わりました。
一度死んで、生まれなおしたような心地です。入院中も、病院内を黄泉の国だと認識していましたし、退院を黄泉帰りだと認識していました。それは、結構間違っていなかったように思います。

入院中は、自分という存在について色々突き付けられた期間でした。自分の持っていたプラス面も、マイナス面も、症状になって自分の目の前に現れるものですから、自分の人生の追体験をしているようでした。

 

私は、自分が神さまの祝福があって今ここにいると認識しています。
その感覚は自信となって私を支えてくれていますし、今ここにいて幸せだという幸福感にも繋がっています。そして、この先も自分の行動次第で如何様にも人生は良いものになっていくという希望にもなっています。

 

案外、暗示に掛った宗教HPにもご利益はあったのかもしれませんね。
そこの神さまは、心の立て直しを司る神さまだそうですから。

 

神さま、どうもありがとう。ようやく自分の人生、胸張って生きていけます。

 

それでは今日の雑記でした。読んでいただいて有難うございます。

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