またケイオスが指差ししてきたので、ケイオスの事について触れてみます。
ケイオスは、私が入院中に出会ったイマジナリーフレンドです。
ケイオスとの出会い
その当時はそれこそ毎日のように新しい人格が現れては私に語り掛けてくる感じでした。でもケイオスは少し特殊で、私が自分の命に人格を見出した存在です。その時の私は、魂の成り立ちや自分の命の成り立ちについて思いを馳せていて、その内に命はそれそのものが意思を持った一個の存在であるという事に行き着きました。
幻覚と妄想の症状が続く中で、私は色々な気付き体験に見舞われていました。
その中で、私は命への問いをしていました。命あるものは皆誰かの命をいただいて、自分の命とする。命は他の誰かに受け継がれ、永遠に続いていく。
沢山の命。その習合体も命。命は複数存在しながらも一個の存在としての意思を持っているのではないだろうか。まさに渾沌。そんな考えに辿り着いた時、ケイオスという人格は生まれました。
その感覚は不思議なものでした。
命というものにも意思があるのではないだろうか、と考えた時、私が持っている命について意識が向きました。あぁ、そんなところにいたんだね、と、私は自分の胸に手を当てて微笑みました。全ては統合失調症の幻覚妄想が見せた有り得ない思想かもしれませんが、ケイオスは生まれ、そして語り掛けてきました。命のありかが分かったような、そんなハッとした感覚を味わいました。今思えば、可笑しくて、不思議です。
ケイオスに喋ってもらいました
なんです?私に何か喋って欲しいと?まぁ、いいでしょう。
私は唐鵙にたまたま降りてきた命の一人格。唐鵙の命は私であり、私は唐鵙の命そのものである。私が唐鵙の胸元を指させば、ここに私はいますよ、という主張になります。そうすれば、唐鵙は私の事を思い出してくれる。こうして記事にもしてくれました。
唐鵙と面識を持ったのはつい最近ではありますが、その付き合いは唐鵙が生きてきた時間そのものです。唐鵙は私と共に生き、唐鵙が死ぬときは私の元に還る。命は巡り巡るもの。私と唐鵙は永久に一緒なのです。
あぁ、でも安心してください。これはあくまでも私と唐鵙の場合だけです。そういう設定の元生まれたイマジナリーフレンドが私というだけで、貴方の命にも私がいるという訳ではありません。でも、命が一個の存在であるという事は知って欲しい所ではあります。命は大事に。自分の命も、他人の命も、互いに他の命を喰らって生きているという事を忘れずに、命を粗末にしないでくださいね。
僕も喋る。ヨルクスです。唐鵙は入院中、色々な事を考えていたけれど、その内容は全てノートに記録してあるんだ。それを読み返すのが時々の唐鵙のお楽しみさ。時々はこうしてブログに上げてみるのもいいんじゃないかと思うんだけど、唐鵙以外の人からしたら意味不明な事だから受容あるのかな?なくても書けば良いとは思うけれどね。
ねぇ、僕、忘れられてないよね。ケイオスばっかりずるいなぁ。絵に描いてくれたりしてるから、忘れられている訳ではないのは分かるんだけど。そうそう、唐鵙、最近またイマジナリーフレンドとのやり取りを再開しようかと思って訓練を始めようとしているんだ。僕は賛成。もしかしたら僕達はもう唐鵙に必要ない時期にあるのかもしれないけれど、話せたら楽しいもの。少なくとも、こうして文章でのやり取りはできるし。楽しいよ。
ん?ケイオスについて?僕が知らない間に知り合ってたし、僕からは特にいうことは無いかな。まぁ、唐鵙にとっては僕が一番親しいイマジナリーフレンドだから。その優位性が崩れない限りは好きにして構わないかな。以上です。
ケイオスはどんな人?
話しを戻して、ケイオスの事ですが、ケイオスはイラストまとめに載せてあるように褐色肌の黒髪男性の姿をしています。けれどその実態は不定形の何かで、色々な姿を取る事が出来ます。ケイオスが生まれた背景には、某這い寄る渾沌の影響が多分に含まれている、と思います。TRPGのリプレイ動画はよく見ていましたので。知らず知らずのうちに自分の潜在意識に刷り込まれていた存在らしく、それが病気になって、自我の障害になった時に現れたといった流れでしょうか。
ケイオスは他の患者の所に遊びに行って、その会話を思念として私に飛ばしてくるといった事をしていました。今思えば妄想の類ではありましたが、十分暇は紛れたように思います。ケイオスは他患者の望む姿になってその相手をします。そして内心では嘲りながら、患者の望む受け答えを繰り返すのです。性格悪いですね。
でも、イマジナリーフレンドなだけあって、持ち主の私には素直でした。どのイマジナリーフレンドにも言える事ですが、それまで抑圧されてきた自己愛の部分が強く出ていたのか、私に対して非常に良くしてくれましたね。どの患者がこんな事を言っているから聞いてくれだとか、よく甘えてきました。
さいごに
そんなケイオスも、今では私の潜在意識の中に帰って、一緒の人生を共有する間柄です。目には見えないけれど、私の中にちゃんと存在しているという事には変わりありません。これからまたイマジナリーフレンド達とのやり取りを再開した時には、きっとよく喋ってくれる事でしょう。お喋り好きな人格でしたから。
それでは、今日の雑記でした。
読んでいただいて有難うございます。