唐鵙の蔵

統合失調症になったけれど前向きに人生を歩む人のブログ。日々徒然。

記憶に残っているあの日 飛び降りをした時の事

折角お題があるので書いてみようかと。

 

イマジナリーフレンドのヨルクスとの出会いも記憶にはよく残っている事ですが、ここはちょっと違う事にします。

 

今回は、私が自宅の窓から飛び降りをやった時の事でも書こうかと思います。

 

当時、私は専門学校に通っていました。
進路を決定した時には人生に希望が見いだせない状態で、学校に通うと決めたのも目標はありましたが、そこまで熱があった訳ではありません。

 

学校はとにかくやる事が多くて、特に実習ともなると、その日の記録、次の日の行動計画、追加学習などなど私には手に負えない量の課題が出されるのでした。
睡眠時間は仮眠をとった2時間程、それでも終わらずに、向こうでペナルティになる事も多かったです。それが続く事で、私は心身共に追い込まれていきました。

 

周りの目も気になりました。同じ班のメンバーはちゃんとできているのに、どうして自分には出来ないのか。そして、周囲と馴染めない。疑心暗鬼。それも心を疲弊させる要因になりましたね。

 

そしてある日の朝、私はどうしたら実習に行かなくて済むのか回っていない頭で考えました。それが、飛び降りでした。

 

思えば、碌な思考回路の状態ではなかったのでしょう。
でも、飛び降りなんてしたら、自殺を図ったと思われて両親家族はなんて思うか。
それくらいの事は考える脳が残っていました。自殺はいけない事だ、と思っていましたので。

 

自宅の庭は土ですし、それほど高くは無いので、死ぬことはないだろうとは思いました。でも、場合によっては死んでいたかもしれません。死んでもいいやとは思っていはいませんでしたが、もしかしたら、もうどうでも良くなっていたかもしれません。

 

メモ帳のゴム紐を窓からすぐ傍にある木に引っ掛けて、これをとろうとして落ちた、という風に見せかけました。そして、朝になっても降りてこない私を父が呼びに来て、今飛び降りないと計画が駄目になると思った私は、いよいよ窓から身を乗り出して、窓から飛び降りました。

 

丁度父が見ている前で、私は窓から身を投げました。

 

暗転。くるっと一回転した景色。
次に来た腰の激痛。打った身体の痛み。
飛び降りから落下まではあっという間の事でした。

 

その後は両親も家族も大慌てでした。
タオルを担架の様に使って家へと運び込み、救急車が呼ばれました。
私は打った腰が痛くて、呼吸を整えていました。
それもすぐに引き、私は「実習は?」と尋ねました。
勿論、実習は無しです。私は心底ホッとしました。

 

両親には、もう今は「あれは飛び降りだった」と言ってありますが、当時は木に引っかかったメモ帳取ろうとして落ちた、と嘘を吐きました。
かなり無理やりですが、なんとか納得させましたね。

 

そしてその後は病院に入院。腰部の粉砕骨折でした。
規模は小さかったし、後遺症も残りませんでした。
とても幸運な事だったと思います。

 

ヨルクスは止めなかったとかというと、マトモな精神状態ではなかったので、そもそも呼び出ししていませんでした。でも、その後話を聞いたヨルクスは「よっぽど嫌だったんだね」と言ってくれました。

 

人生の中で自殺紛いの事をしたのは初めてで、おそらくそれが最初で最後でしょう。今は、希望を持って日々を生きる事が出来ていますから。
でもほんと、死ななくて良かった。

 

そんな事するくらいなら、さっさと学校を辞めれば良かったんです。
嫌な事、辛い事からは、まだやり直せるうちは逃げても良い。
後でそう思うようになりました。

 

以上、”記憶に残っているあの日”でした。
閲覧有難うございました。

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