唐鵙の蔵

統合失調症になったけれど前向きに人生を歩む人のブログ。日々徒然。

「もう死んでもいいよ」と言ってもらえた時の喜びと尊厳死について

こんにちは、唐鵙です。皆さんはもう楽になりたいと考えた事はありますか? 私はあります。統合失調症を発症するまでの生活は私にとって暗い日々でした。

 

それまでに働いていた非正規の仕事を辞めて、働かなきゃと思いつつも中々行動に移せず、ニート生活。自己肯定感はどん底で、周りの友人達はしっかり仕事に励んでいる。

 

社会から取り残されたような気さえしていました。

でも、その中でも自棄にはなりませんでした。自死も選びませんでした。

 

何故なら、ここまで支えてくれた全ての存在に申し訳ないから。
自分が生きているのは、他の誰かの命や居場所を奪ってきたから。そう思うと、どうしても自棄にはなれませんでした。でも、どうにもできない生活は辛かったですね。それに、ヨルクスの存在があったので。励まされて、癒されて、何とか精神を保っていました。

 

さて、そんな中、統合失調症を発症しました。

すると、どうでしょう。私は神さまから「よく頑張ったね、もうこっちにおいで」と言ってもらいました。その時の喜びといったら。

 

今までの自分の苦しみも辛さも頑張りも認めて貰えて、しかももうこれ以上頑張らなくてもいいんだと思ったら、私はとても嬉しい気持ちになりました。
まぁ、統合失調症からくる幻覚だったんですけどね。

 

天の父さんも、シーラウスも、迎えに来たから支度をしておきなさいと言ってくれて、色々手を尽くしてくれました。例えば、眠っているうちに火事を起こしてあの世に連れて行ってあげるとか、部屋の次元を上げて魂だけあの世に渡してあげるだとか、そのような事を提案してくれました。私は自分がいつあの世に渡れるかと心待ちにして待っていました。

 

受け身だったから何事もなかったのですが、これがもし私にあれをやれ、これを試せという声だったら、もしかしたら自死したり可笑しなことになっていたかもしれません。場合によっては犯罪者になっていたかもしれません。基本受け身で良かったです。

 

ちなみに、そのあの世へのお誘いは品を変え形を変え、しばらくは続きました。
退院してからも、「死」を名乗る誰かに、いつか必ず迎えに行くと熱烈な手紙を貰いました。満更でも無かったです。

 

その後ですが、人生が好転した今は死にたいと思う事はなくなりました。
これから先に希望が持てるようになったので、今楽に死なせてあげるよと言われても、多分その手を取る事はしないと思います。どうせそのうちそっちには行くから、もう少し待っていてほしいと答えます。

 

過去の自分が知ったら、きっと驚くでしょう。
未来に希望なんて、当時の自分だったらそんな事一切思っていなかったと思います。今はちゃんと幸せだから大丈夫だよと言ってあげたいですね。

 

で、ですが、死にたくて辛い思いをしている人にどんな声をかけてあげたらいいのかと考えます。うちの祖母も生前、もう生きていたくない、死にたいとよく言っていました。老人性うつ病の診断でした。

 

傍で介護していた私は、ただただ「そうだね、死にたくもなるよね」とその話を聞いていました。でも、自分が神さまに「よく頑張ったね。もう死んでもいいよ」と言われた時の喜びを思うと、祖母のこれまでの頑張りを認めてあげれば良かったのかなぁと少し後悔します。

 

さすがに、もう死んでいいよなんて言葉は言えませんし、言いませんでしたが。

 

でも、結局、私のケアも付け焼刃にしかならなくて、私が訪問しない日に祖母は自分で死んでしましました。一応、その場では事故死という形に落ち着きましたが、予行練習までしていた事を知っている身としては、あれは間違いなく自殺だったと思います。たまらなく無念で、残念ではありますが、祖母の意志はそこまで固かったのだと諦めるしかありませんでした。

 

でも、正直、祖母があそこで自殺しなかったら、祖母が嘆いていた様に、歩く事もままならず、一緒の家にいるはずの家族にはあまり相手にもされず、一緒に遊ぶ友達もおらず、辛い日々を送っていたのだろうと思います。

 

なんだか、そう考えると、何が何でも生きるというのもどうなんだろうなぁと思わずにはいられないです。尊厳死という言葉がありますが、日本ではせいぜい危篤になった時、延命処置をしない選択をするかしないかくらいしか選択できません。

 

まぁでも、もし私が祖母の立場だったとしても、少なくとも今の私はちゃんと寿命をまっとうしたいですがね。

 

つまらない毎日になったとしても、寝たきりになったとしても、最後まで生きたいです。延命処置は、家族が望んだら受けます。さよならする心の準備ができるまでは。家族が望まないとか、本人の希望に任せるとなったら、延命処置は受けません。苦痛の緩和は受けたいですが。

 

もし認知症になってしまったら、さっさと施設に入ります。
認知症の介護はとても大変です。家族に任せるのは荷が重いでしょうから。
そこでいつまで自分を保っていられるか、記録でもつける事にしますよ。

 

なお、延命処置については、日ごろから家族に意思表示しておくようお勧めします。そうでないと、いざという時には家族の判断に任せられるので。

 

自分で後悔しない最期にするためにも、その辺り、終活は若いうちからやっておいていいと思います。世の中、何が起こるか分からないですしね。

 

私も時々遺書もどきを更新しています。
残した家族が少しでも慰められるようにと思いまして。
まぁ、私が先に死ぬことはないとは思いますが、念には念をです。

 

皆さんも、自分の人生をより納得したものにできるよう、どう生きるか、どう終わりを迎えたいかという事は時々考えてみるといいと思います。
死ぬことを考える事は、生きる事を考える事と同義です。
お互い、より良い人生にしていきましょうね。

 


それでは、閲覧ありがとうございました。 

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