唐鵙の蔵

統合失調症になったけれど前向きに人生を歩む人のブログ。日々徒然。

ぺりぺり剥がれる人格の殻の話し

こんにちは、唐鵙です。

 

私は入院中、自分の心から分離した数々の人格と向きあってきました。
それは、まるで玉ねぎの皮をめくる様に、どんどんと深層心理に近づいていく物でした。その時の話しを少しだけしていこうかと思います。

 

まず出てきたのは、瑳羅黒や昴といった最初の交代人格。
瑳羅黒も昴も今はいません。というのも、形の異なる自分自身といった認識だったからです。彼らと人格を交代する時も、自分という認識はどこかに持ち合わせていました。彼ら=自分といった認識です。人格交代している意識はあったんですがね。

 

次に出てきたのはアルヴァや莱伝、シーラウス、和良、安良など、今のイマジナリーフレンドとなる人格達でした。主に自分が親しんできた創作物に関わるキャラクターを軸にイメージができていて、まぁその実全然違う存在ではあるのですが、性格などはそのキャラに似ていましたね。

 

次に、自分が親しんでいたゲームのキャラクター達。
彼らは私のイメージしていたキャラクターそのものとして出てきました。
性格も設定も、そのゲームの通りでした。

 

更に次には。ケイオスが。
自分の命に人格があると見出して生まれた人格です。

 

その次には、自分の内面に入って行って、長らく自分の心の中心を占めていた虚無の部分が顔を出しました。心なんてないと思っていた虚無の部分にもちゃんと人格はあって、彼との交流は自分の心をとり戻す大事な切欠になりました。

お互いに、自分には心がないと思っていたのですが、互いの存在に触れ、認めていく中で心の存在に気が付きました。

 

そして最後に、自分の幼い頃の姿の人格に出会いました。
その姿は犯罪の被害に遭った時のまま、幼い姿のままで止まっていました。
頑張ったんだね、辛かったんだね、とお互いに認め合って、「これでようやく成仏できるよ」と言い残し、彼女は姿を消しました。きっと、私と同化したのだと思います。

 

それから、服薬の効果もあってなのか、私の現実の喪失感はなくなり、睡眠中の離人症の発作もなくなりました。でも、大きかったのは、この、自分の潜在的に存在していた数々の人格達との交流、それに向き合う時間があったからなのではないかと思っています。

 

80日間の入院生活の中で、自分と向き合い、自分の深層心理と出会い、理解し合った事が心を癒してくれたのではないでしょうか?
自分が自分の辛さや頑張りを認め、受け入れた時、そこからが本当の治療のスタートだったんだと、私は考えています。

 

以上、閲覧有難うございました。

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