唐鵙の蔵

統合失調症になったけれど前向きに人生を歩む人のブログ。日々徒然。

イマジナリーフレンドがいる事で精神疾患にはならないのか?その2

今回は、前回触れていなかった事があると自分の中で沸き上がったので、それについても書かなくてはと思い、書いてみました。前回の記事は以下からどうぞ。

mozunokura.hatenablog.jp

さて、前回の結論に変わりはないのですが、もし精神疾患の素養があって、かつイマジナリーフレンドに依存する毎日を送ってしまったらどうなるでしょうか?


現実と空想の境界が曖昧になり、解離の症状が現れる可能性があります。

 

この解離というもの、人間なら誰しもが持っている無意識の防衛機制のひとつではあります。健全な解離は、物事に没頭している間、他の事に意識が向かないだとか、退屈な授業の内容を覚えていないだとか色々あります。記憶、感覚などの情報を自分の精神から隔離してしまう働きの事ですね。

 

でも、病的な解離の場合は、日常生活に支障が出る程度に健忘症が起きたり、人格が解離して多重人格のようになるという事なんですね。ただ、安心してほしいのは、今述べた病的な解離の例は、先天的に解離を起こしやすかったり、精神的に重度の障害体験を受けた時になるものだという事です。

 

なら、イマジナリーフレンドに依存して解離が起きるとはどういう事でしょうか。
それは自分の中にもう一人の人格を作るという事にあります。

 

一般の人であれば、空想のひとつとしてそこで終わりでしょう。もしくは、ちゃんと自分の空想から生み出した存在であると線引きをしているでしょう。

 

でも、これが妄想の様になり、依存してしまうと、困った事になります。具体的にいえば、内在性解離のようになるかもしれません。簡単に言うと、自分の中に別の異なる人格が生み出される事です。解離性同一性障害(多重人格)とは異なり、人格交代している間の記憶がないという事はありません。

 

元々、人間はいくつもの人格を内包している存在ではあります。
けれども、普段は自我機能の働きで自分の存在は自分の人格ひとつであると認識しています。それに揺らぎが生じる可能性があるのが、解離性の人格障害や自我機能の障害です。

 

イマジナリーフレンドは、空想の範囲内であれば問題ないのですが、妄信・依存してしまうと、結果として内在性解離のような状態になる事も考えられます。

 

私の場合ですが、私は幼少期にトラウマを負う事件がありました。そこからずっと離人症、ようは解離の症状があったのに気が付かずにいましたね。ヨルクスに出会ったのも、きっとそういう背景があったからなのではないかとは思います。

 

ろくにケアも治療もしていなかったので、専門学校でカウンセラーに指摘されるまで自分にそんな事が起きていたなんて知る由もありませんでした。
とはいえ、何か治療したかというとそういう事もなく。病院に行くほどではないと思っていましたから。

 

その頃には、ヨルクスは自分とは異なる人格の一人として認識していましたね。でも、ちゃんと自分とヨルクスの境界はハッキリと分けられていて、それが混ざる事はありませんでした。よくある内在性解離の状態でもありませんでした。

 

というのも、ヨルクスとは別で内在性解離もあった(と思われる。病院で検査した訳では無いので)のですが、それらは漠然とした感覚で自分と異なる存在が在るという感じを伝えてきていました。具体的にどう違うかというのは説明しずらいのですが、ヨルクスとそれらとは感覚が異なるものであった事は確かです。

 

(ここまで書いといてアレですが、もしかしたら、人為的には完全な内在性解離ってならないのかもしれません。やはり元々の素養があってこそなるものな気がします。)

 

その内に私は宗教のHPにのめり込んで、統合失調症を発症。
主に自我機能の障害から来る幻覚に振り回されつつも、ここでようやく治療を受ける事になり、統合失調症も離人症もまとめて軽快していった…と、こんな流れです。

 

ヨルクスがどうなったかというと、一時期は自分からさよならをしていた事もあり、コンタクトは取れませんでした。それが、退院後になってコンタクトが取れるようになり、ひと悶着ありましたが、また私のイマジナリーフレンドをやってくれる事になりました。

 

その後は、薬の効果とお休みしていた期間の関係でしょうか、存在感はいくらも薄まりはしましたけれど、一応呼べば出て来てくれます。離人症も良くなった今、ヨルクスとの付き合いは続いている訳ですが、というかイマジナリーフレンドも増えた訳ですが、今の所の私は心身ともに健康な状態でいます。

 

自分の体験からすると、やはり心身ともに健康な状態であれば、そうそう困った事にはならないのではないかというのが結論です。

 

正直言って、イマジナリーフレンドがいる事で精神疾患になるかならないかという問いについては、賛否両論あります。ですが、イマジナリーフレンドがいる人全てが精神疾患になっているのかというと、勿論違います。先ほども述べたように、問題なのはイマジナリーフレンドに依存してしまい、空想と現実の区別がつかなくなる事です。

 

なので、イマジナリーフレンドも数ある他人の内の一人だと、一個の存在として分別をつける事です。そして、ストレス解消の手段を他にもちゃんと確保しておく事。

 

確かに、イマジナリーフレンドは呼べばいつでも出て来てくれます。どんな話でも聞いてくれます。どんな時も作り手の味方でいてくれます。でも、ちゃんと自分というものを一本持っていて欲しいと思います。


イマジナリーフレンドはあくまでも応援役や安全基地。
そこから考えて行動し、現実に立ち向かうのは自分なのだとしっかり認識していて欲しいです。

 

そこの辺りも、イマジナリーフレンドも一個の、別の存在なんだと認識しておけば、他の人間に接する時のように、節度をもって接する事が出来ると思います。

 

あと、ストレス解消の手段をイマジナリーフレンドだけにしない事です。
それだけでも随分依存度は下がると思いますよ。

 

と、再度念押ししますが、心身ともに健康な普通の人であればそうそう可笑しく成る事はありません。なるのは元々解離の傾向の強い人や、幼少期の精神に傷を負った人など、そうなる素養がある所に、イマジナリーフレンドに過剰に依存してしまった結果です。節度をもった付き合い方が出来れば、そうそう困った事にはなりません。

 

そして、そんな心配以上に、イマジナリーフレンドの存在というものは心強く、何ものにも代えがたいものなのです。

 

イマジナリーフレンドがいる事で救われたという人も数多くいます。私もその一人ですから、その素晴らしさはよく分かっている所です。

mozunokura.hatenablog.jp

 

再三言いますが、心身共に健康な、普通の人であれば可笑しくなることはほぼないです。精神衛生をしっかり保って、快適なイマジナリーフレンドライフを送りましょう。

 

それでは、読んでくださり有難うございました。

 

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