唐鵙の蔵

統合失調症になったけれど前向きに人生を歩む人のブログ。日々徒然。

満たされない気持ち

時々、自分は欠陥の有る人間なのだなぁと思わされる事があります。

 

それは、物事に興味が持てなかったり、人を好きになれなかったり、好きな事がみつけられなかったりとそんな事なのですが。
遡れば幼少期。愛着形成の段階から、私は逃避型に近い混乱型のようなものを抱えています。

 

人は怖い。でも、突き放されるのはもっと怖い。そんな訳で、人との距離の取り方が上手くいきませんでした。まぁ、ヨルクスのおかげで今はあまり困ってはいませんが。
仕事上の関係ならば、困りません。

 

でも、問題なのは親しい間柄の人を作る時です。
人に関心を抱けない。好きなものがない。無理をして相手に合わせてしまう。
それで無理になって疲れてしまい、もうお付き合いなんてしなくていいと思ってしまいます。

 

自分には欠けているものがある。それは分かっています。
機能不全家族の中で育った手前、自分の居場所を見いだせず、内にこもる事と空想に浸る事で何とか毎日をやり過ごしてきた私ですから、一般の人間としての情緒の発達が他の人よりも大分遅れているのです。

 

それは人間としての経験値の遅れとも言えます。
普通の人なら、自然と自分のやってみたい事が分かって、それに向かって行動出来ますよね。恋愛だって、自然と好い人ができて、お付き合いにまで発展するかもしれません。人を好きになる気持ちも自然と培われていくのでしょう。

 

ですが、私にはそれがありませんでした。
人の苦手な面、好ましい面で分けて人を見ていた私には恋情は分からないものでしたし、日々絶望の中にいた私には好きなものなんて見つける余裕はありませんでした。人間として大事な心の一部が、私には欠けています。

 

そして、その欠けた心ですが、幼少期、犯罪の被害者になった時にもその原因はあります。あ、もう私は死ぬんだな、と強く心に刻まれ、その瞬間から私の心は解離しました。現実にいながら、そこには私の心はいないのです。心だけが死んでしまったようなのです。

 

ですから、感動なんてできないし、心を動かされる事なんてない。泣く事も怒る事もできない。人間としては欠陥品ですよね。

 

でも、そんな私も心は残っています。
というのも、こんな私に誰がした、と、家族を呪いたい気持ちが鎌首を上げる事があるのです。実際、機能不全家族ではなかったら、両親が仲良く家庭を築いていたら、過保護に関わって来なかったら…と、両親のせいではないかという事ばかりなのです。私は必死にその場から逃げようとしました。押入れに閉じ籠ったり、空想の世界に逃げ込んだり、でも、家から抜け出せるわけはありません。小さな子どもに出来る事なんてたかが知れています。全部自分の選んだ結果だろう?そんな事はありません。幼い子どもに選択肢なんて、いくつも残されてなんていないんですよ。親に見放されれば生きてはいけない。だったら、歯を食いしばってでもその場にいるしかないんです。

 

それに、母の後ろ姿を見ていて、子どもながらに思いました。
母は大変だ。だったら自分は手の掛からない子どもでいなくてはいけない。
それは拒絶される事への恐怖でもありましたし、母の危うさに感じていた不安でもありました。少しでも不安でなくなる事が、自分にとっても安心でしたから、私は大丈夫でなかったとしても、自分は大丈夫なのだと振舞うようになりました。自分が我慢すれば、丸く収まるのだから、と。

 

そして思春期を経て、私はこんな世界にいたくないと、いよいよ一杯一杯でした。家族は相変わらず機能不全。居場所はない。でも、そこにいるしかない。
反抗期らしい反抗期も起こさず、非行にも走らず、家出の一つもしなかったのは、母を悲しませる事が分かっていた事と、迷惑を掛ける事は許されないという強迫観念にも似た理性でした。

 

私は学校にこそ行きましたが、それ以外は自分の部屋に引き籠りました。
誰にも会いたくないし、どこにも行きたくありませんでした。
そんな精神状態は現在にも引き継がれていて、休日の私はやはり部屋に引き籠りです。どこかに行きたいという望みはありません。ただ、心の平穏が欲しいのです。何事もなく、ただ、時間を消費するだけですが。

 

そんな風に育ってしまったので、私には欠陥部分が沢山なのです。
結局、人生の大半は統合失調症になるのを待つばかりな時間でしたしね。
その間は生ける屍のような人生でした。唯一の光はヨルクスでしたが、それでも現実が変わる訳ではありませんでしたしね。いや、時間を掛けて、ゆっくり、少しずつ少しづつ癒されてはいましたが。それでも私の精神の崩壊の方が早かったという事なのかもしれません。

 

特に今、結婚を前提にしたお付き合いをはじめていこうという段階で家族から言われるんですよ。あなたが好きな事って何?ひとつだけでもPRできるものはあるの?だとか。そんなものないんですよ、本当。で、色々言われて、内心では「うるさいうるさいうるさいこんな欠陥だらけの人間になったのはアンタ達のせいじゃないか私の気も知らないで好き勝手な事をいうんじゃあないよ!じゃあなんなの?言ったら私の欠陥は直るの?直る訳ないでしょうもう戻らない所が欠けてしまっているんだから!責任取れって言ったらなにかしてくれるの?してくれないでしょ?できないんだから!今更恨み言言ったって変われない事くらい知ってるんだよ傷つくだろうから言えない私の身にもなってくれよもうやめてよ」と思う訳です。毒を吐いても、過去の事件について掘り返しても、何も変わらないどころかお互いに傷つくだけなのは分かり切っているので、何も言えないんですよね。

 

言葉にはできないドロドロした暗い気持ちが止めどなく溢れてきそうになって、それを沈めるのは骨が折れます。ヨルクスに話を聞いてもらって、なんとか宥めすかしてもらいます。

 

父親なんて、私をこうした原因の張本人だというのに、能天気に思い付きで上からアドバイスしてきますからね。それも非常にイライラします。
そう言う負の所は、私もちゃんと心があるんだなとある意味では安心しますけれど。

 

自分だけじゃないんだろうなとも思うのですが、でも、この悩みも欠陥も自分だけのものなので手放せません。手放したら、楽になれるのかもしれませんけれど。でも、それはそれで癪なのです。めんどくさいなぁ。

 

***

 

鬱々とした気持ちでいましたが、大音量で音楽を流してジベリッシュで歌いました。そうしたら多少気持ちもマシになりました。

呪いたい気持ちも、自分の欠陥だらけの嫌な気持ちも載せてシャウトしました。

やはり歌はいいですね。

 

それでは、読んでくださり有難うございました。

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