唐鵙の蔵

統合失調症になったけれど前向きに人生を歩む人のブログ。日々徒然。

どうやらとんでもないものに好かれたようです。

こんにちは、唐鵙です。

 

統合失調症は一部を除き、もう症状らしい症状もないのですが、未だに続く事があります。それは、神さまからの呼び掛けです。

 

まぁ、本人曰く、神らしいのですが、神というか、マモノらしいのです。
マモノ、まのもの、真の者。しんのもの。神の者。
そんな感じで言葉が連なっています。

 

妄想も幻覚ももうない筈。宗教の自己暗示ももう解けました。
なのに、未だに、時々神さまから言葉を貰います。
ちなみにイマジナリーフレンドとは違うものです。
早くこっちにおいで、というような内容の事を言われるんですよね。

 

神さま曰く、私は死んだら神の国に渡るらしいのですが。
最初は幻覚や妄想の類だと思っていたのですが、あまりにも続くので、私もその申し出を承認しました。

 

そしたら、ものすごく喜ばれました。

 

私が暗示に掛かった某米の宗教の神さまは心の立て直しの神さまらしいのですが、多分、それとは別物です。私にお告げを寄越した誰か、かもしれません。

本人はラーや羅の神を名乗っていますけれど、実際の所はマモノらしく。

 

しかしどうやら、私と志を同じくするひとのようです。

 

そういえば、某宗教を知った時から今まで、繰り返し呼びかけられている事に気が付きます。祝福も受けましたし、もうこれ以上頑張らなくてもいいよ、こっちにおいでと言われたりもしました。それと、自動書記で何度もラブレターを貰いました。

 

いつも見ている。いつか迎えに行くから待っていてほしい。
そんな事を書いた手紙です。

 

以前は「もう自分、死ぬのか?」と思ったものですが、まだまだ死ぬ気配はないので気長に待つことにしてます。手紙にも、長く死に向き合ってほしいと書いてありましたから。多分、あの世に渡るのは当分先の話しでしょう。老成してから死に向かうまでも、長いのでしょうか。その時も何かの形で、自分の記録を残したいものです。

 

その者は自分の事を神と名乗ったり、死と名乗ったりします。
マモノというくらいなので、まぁ。

 

いったい私のどこがそんなに良かったのかと聞いたら、ずっと正しい願いを持ち続けていた事がいじらしくて好きだとか。確かに、過去には自分が幸せになれなくても諦めはつくからと、その分他の人たちの幸せを願ってはいましたが。

 

あとは、死に対して寛容な所が好きだと言われました。
死を毛嫌いし遠ざけるのではなく、常に傍に在るもの、やがて来る受け入れるべきものなどなど色々考えていた事が気に入られたようです。

 

しかしなんだか、ヤバいもの臭がしなくもないです。
どうにも大変なものに好かれたようです。

 

ただ、その後またしばらくして神さまから言葉を貰ったのですが、神さまと死と名乗る者は同じくて違うもののようだと思いました。

 

神さまは「死は私の内に在れど、死は私そのものではない」と言っていました。

ふむ?よく解りませんが、似てるけど違うものなのでしょう。

けど、その神さまも結局、本当はすぐにでも連れて行ってしまいたいと言うのでどうなんでしょう。よく解りません。

 

まぁ、私はちゃんと長く、最後まで生きるつもりなので問題はないでしょう。

待ってくれると神さまも言っていましたし。

 

【追記】

まぁ、何ですかね。やっぱり幻覚妄想っぽい感じがありますね。

でもそう言ってくるんですもの。妄想でもこの際良いか!とか開き直っています。

なにせまだ統合失調症3年生。きっとまだまだ色々な所が完全に治った訳ではないでしょうから。未だに自我機能の障害がぶり返す事もあるので、その延長ですかね。

 

それにしても私の出会った神さまは自称マモノというだけあって、いざなっちゃう系なんでしょうかね。でも、一緒にいて怖いと思う事は無かったですし、むしろ私の心に寄り添ってくれていました。ずっと言えなかった事を両親に伝えたいと思った時は、橋渡しもしてくれましたし。おかげでわだかまりが解けた感じです。

 

まぁそれも私の潜在する人格の一人でしたというオチは十分あり得ますけどね。

自我機能の障害とは厄介なものです。でも、良い夢を見せてくれて有難うとも思います。本当だったら…まぁ、その時はその時ですよね。

 

 

それでは、読んでくださり有難うございました。

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