唐鵙の蔵

統合失調症になったけれど前向きに人生を歩む人のブログ。日々徒然。

朝の情景

暗転していた意識が、ゆらゆらと浮上していく。

 

さっきまで、いくつもの世界線の中を生きていた感覚がするのだけれど、それがきっと夢というものだろう。そろそろこちらの現実に戻って、いつもの一日を始めなければならない。

 

それほど重たくもない目蓋を開けると、いつもと変わらない、薄明りに照らされた天井が視界を埋める。弛緩していた筋肉に力を込め、思い切って身体を起こすと、まだ横たわっていたいとばかりに体の節々が文句を垂れるけれどもそんな事はお構いなしだ。時間は待ってくれないのだから、こちらから追い着かなければしょうがない。

 

髪をかき上げて、ぺたぺたと洗面台に足を運ぶ。蛇口をひねり手を晒せば、流れる水の、絹に触れるような感触。顔を洗うと、さっぱりとした気分。夜の内に選んでおいた洋服に袖を通した所で、また一日が始まるのだなという実感がようやく、じわりじわりと湧いてくる。

 

それは真新しい紙に筆を走らせる時のような、緊張と期待感に似ている。上手くやらなければと気負う反面、思う通りの字が書けた時の喜びを思うと、ワクワクとした気持ちが胸を満たすのだ。

 

とはいえ、正直、何もせずに寝そべっていた方が楽ではある。何の心配もせず、惰眠を貪り、ふわふわとした心地よい感覚に身を任せていればそれはもう良い事だろう。けれども、それが出来ない事は百も承知な事だ。生きていくためには働かなくては。

 

動きたくない、という気持ちがある事は事実ではあるものの、一方で会社に行く事は嫌な事ではない。自転車のペダルを踏み込んだ後の、あのスーッとした感覚。それと同じ様に、動き出してしまえば後の事はそれほど気にはならないし、何より、仲間と共に過ごす時間の充足感を知っているから。

 

今日はどんな話しができるだろう。何を一緒に達成できるだろう。そんな期待感があるから、仕事に行く事は楽しいのだ。

 

そんな間にも身体は空腹だと訴えてくるので素直にキッチンに向かう。食べる事は勿論好きな事だ。ただ、起床してすぐの気怠い感覚の残る意識状態では面倒臭さがある事も否めない。ここはスープやパン、シリアルで済ませてしまおうと手が動く。しゃんと覚醒できた時は、香ばしい焼き加減で仕上げた焼き魚や、温められてとろけた油が美味しいベーコンエッグがセットになる事もあるのだが、今日はまぁ良いだろうと横着して適当に済ませる事にしよう。

 

シリアルをざくざくと咀嚼する振動が、未だ眠たい脳味噌を刺激する。そうしているうちに眠気も覚めてきて、いよいよ仕事モードに意識が切り換わる。今日も変に気張らず、けれどやる事はやって。程良い加減で励むとしよう。

 

さあ行くか、と、荷物の詰まった鞄を背負い、エアコンの電源を切る。ガスの元栓が締まっている事を目視して、ついでにゴミ出しを忘れない様に、冷蔵庫に張り付けた用紙で今日の分の回収品目を確認したらとうとう出発だ。

 

靴に足を詰め込み、重たい玄関の扉を開ける。外の空気の感触に身を浸した所で鍵をかけ、ドアノブをひねり、施錠されたかの確認は忘れないように。ここまで出来たらあとは向かうだけ。

 

これが私の、普段と変わらない日常の一場面である。

 

 

***

 

はい。どうも皆さん、唐鵙です。

今回は私の、いつもの朝の風景を文字にしてお送りしてみました。会社の同僚が文字を書く人なので、よく作品を読ませてくれるんですよね。文字もいいなぁと思って、ちょっと何か書いて見たくなったのでこれを。物語も書いてみたい気持ちはありますが、まだネタ不足なので自分の事でも書いてみるかなと思いました。

 

その人の作品は人物の気持ちの描写がすっと入ってくる感じで、温かみのある作品だなという印象を持たせてくれるものが多いです。あと、さくさくと読みやすいですね。

 

私は割と無駄に思える描写を入れたくなって色々書き加えてみるのですが、なんですかね。ちょっと視点を変えた表現をしてみたくなります。絵を描くみたいなノリですね。色々な色や画風を混ぜてみたくなる訳です。私は作風や表現の仕方から、書き手の心象世界が見えてくると面白いな~と感じるのですよね。だから、自分の内面がちょっと出たら楽しいなと思って、ちょこちょこ寄り道をした文章になるのかもしれないですね。

 

今後も何か思いついたら書いてみようかなと思います。

それでは、ここまで読んでくださり有難うございました!

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