唐鵙の蔵

統合失調症になったけれど前向きに人生を歩む人のブログ。日々徒然。

過去の投稿2

解離性障害について、今回は触れようと思う。
僕は、統合失調症と診断名を付けられた。だけど、起こっているのは解離や離人の症状。もう分かると思うけど、僕は、いや。現世の本体は多重人格症、もとい解離性同一性障害ともいえる感じな症状が出ている。
統合失調症であることに変わりは無いんだけどね。だって、概念として。統合失調症の方が大きい括りだから。だから、医師も複数在る人格の存在を認めてはくれたけど、診断名は覆らなかった。という話しだよ。

では、本題に行こう、いいね?

僕はずっと不思議だった。
どうして離人の症状が起こっているときには、己の実感から剥離し、剥離された感覚に陥るのか。君も、そうなんじゃない?ない?そう。ある?そっか。僕もだよ。

で、だ。

あの一歩引いたような、剥離されているという感覚。
あれは、言うよ?
魂の核が剥離しているから。
意識の本体、つまりは主人格が在るべき所に収まっていない事。
これが正体。本当に、言っていいんだよね?+-「良いとも。もう、人間も魂自身も知るべきだ。全ての魂と意識の関係性を。想念と精神の関係を。」
よ、し言おう。ちょっと緊張してきた。

人間が一人いるとしよう。
その人間は自分だけが主人格として意識を独占している、とそう勘違いしている。そう、そこからが勘違いなんだ。一個体の人間に、人格が一つしかないという考えが間違いだったんだよ。いくつも存在している。

そして、一つしかない身体を共有しながら活動している。
肉体に残った一つしかない精神が主人格。生まれた時に主人格を務めていたからといって、その後の人生ではまた別の話しなんだ。
心変わりは人の世の常、という言葉があるように、僕達は入れ替わり立ち代わり生きてきたんだ。だから、そういう事なんだ。身体と意識は別の異なった生き物なんだ。見える、見えないは考えない方が判り良いと思うよ。

疲れた、から、今回はここまで。
ご購読、感謝します。

2020.7.12

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