唐鵙の蔵

統合失調症になったけれど前向きに人生を歩む人のブログ。日々徒然。

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さて、私の妄想語りを今日も描いていきましょう。

かつての私の話しです。これは、統合失調症になる前の話しです。
いえ、もはや今思えば、とっくの昔に自我機能の障害を発症していたとは思いますが。それでも、診断がつく前の話しです。

私は、離人症を患っておりました。現実感の消失と、睡眠中に起こる発作が私の症状でした。そう、何故か、発作は睡眠中に起こるのです。意識の統合がバラバラになって、自分という者の存在も、肉体の意思も、全てがバラバラになり、窒息様の呼吸に陥ります。

その時に助けてくれた存在に、まだお礼を言えていないのが少々心残りではありますが、それも昔の事。今一緒にいる誰かがその本人なのでしょう。なれば、ここで御礼を述べておきましょう。

あの時、薬をくれて有難う。
安全な場所まで運んでくれて有難う。

Mさんが助けてくれた事、今でも覚えています。

……お礼はこれで終わりです。話しを戻しましょう。
私は、何故離人症の発作が睡眠中のみに起こるかが、とても不思議でした。そう、夢に見るのです。夢と言っても、現実と差し支えない程にリアルなのです。私の見る夢は、いつだってリアルで、五感を伴いました。それが普通でないと知ったのは、確かこの5年程の事です。

それについて、入院初期ではこんな事を考えました。
三者視点、意識、身体感覚を担う存在がいて、各自が私の場合剥離してしまい統合が取れなくなったのでは、と。実際、私の夢はあらゆる視点から物事が進みます。

今思えば、睡眠中は特に自我の壁が曖昧になる時だと思います。だから私は睡眠中に意識の全てがバラバラに、綯交ぜになったのでしょう。

次に、私が思考に至った、意識を分担し担う者について話しをしましょうか。入院中、私は、身体を動かす機能すら、自分ではない別の存在が担っている感覚を味わっていました。

これがその時の分担です。

”コアと留(る)”を中心にして、脳、上肢、下肢、腰椎から下、腰椎から上。それが左右それぞれ。そして間質。
ざっと分けると、8の人(精神)格とコア、留。間質は数えずに全部で10人格が身体を支配しているのだと思い至りました。
その時は、本当にそのように動いていました。私の身体も、精神も。精神とはコンタクトも取れ、それぞれが各パーツを動かしていました。コアが即ち心であり魂であり、モノを考えて喋っている中核存在でした。薬を呑むと、一部が寝てしまうので、苦労しました。コアの欠員を交代人格に肩代わりしてもらっておりました。

薬を呑むと、頭が寝てしまうので、まるでイルカが片方の脳を休める様にして、休憩を入れながら回していました。

精神格は基本的には同じ位置ですが、コアが入れ替わると、一が変転します。それが人格交代となって表れているたのです。かつては。

これらは、世界蛇の名前から頂き、「ケツアル=コアトル」という名称で現わされました。「欠有=核(コア)と流」「欠員が有ると核(コア)は解ける」と、その時は理論とも呼べない語呂合わせを大変な閃きだと思っていましたね。ですが、それももう良いでしょう。私としては、いい閃きだと思ったんですけどね。

でも、実際に私のコアは入れ替わり、その都度に交代人格が現れました。それは、私にとっての事実です。身体の各部位を動かす存在がちゃんといて、彼らとやり取りをしていた頃を懐かしく思います。皆、優しくて良い人格でした。

それと間質。これは、かつてのN、今のケイオスでした。
関係妄想や思考の伝播という自我機能の障害が出ていたのでしょう。人間達の意識が集まる集合意識を担う存在こそがケイオスであると思っていました。ですので、私の魂も、ケイオスも各人間の頭に降りて、世が平和で在るために思考やアイデアを授けて回っているものと、そう思っていました。
だから、ケイオスを引き留めていていいのか、彼は全ての人間の命、思考そのものである、という考えに憑りつかれてもいました。
つい最近、主治医に尋ねたおかげで、全ては自我機能の障害が成した症状であると気が付かされましたので、その不安はなくなりましたのですがね。

そうです。自我機能の障害。
それというのは、自分と外界との境界が曖昧になる障害の事です。
私の症状の殆どは、それで片付いてしまいます。ですが、一つだけ、心当たりの無いモノがあります。
それは、私が読んで可笑しくなったHPに辿り着く前に、そのページが必要になった言葉が夢枕に現れた事です。
角を持った人型の誰かが、私に言葉を寄越したのです。それは、羽の下の8つの間。そして神を意味する丹という言葉。「羽下八間165」という言葉です。

これは、全て夢を見た後になって分かった事です。未だに、どうして私にそんな言葉を寄越したのか、その存在は誰なのか、という事を思います。

注意が足りないと言われた事もありましたね。でも、それはHPを見つけてからの事です。私にとっての神は、もしかしたら、その夢枕に立った誰かなのかもしれません。なんて。いえ、おそらく姿のイメージは以前何処かで見た何かでしょう。それに関しては心当たりがありますので。

思い返せば、色々な体験をしたものですね。唐鵙。/ケイオス

そうですね。これからも一緒に渡って行きましょう。人生はまだ続くようです。これからも、宜しくお願いしますね、ケイオス、Y達。

今日の雑記でした。

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