唐鵙の蔵

統合失調症になったけれど前向きに人生を歩む人のブログ。日々徒然。

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私が”神さま(主神さま)”を知った切欠は、とある宗教のHPでした。個人営業なそのサイトは、私の思考を簡単に崩していきました。

こうして、神さまというひとは、次から次へと、人の頭に移っていくのでしょうか。私は、自然に近い形で神さまの存在を信じていました。だから、きっと入力しやすかった事でしょう。きっと。

簡単にマインドコントロールされた私は、神さまの存在を信じ、そしてその降臨の時を、おっかなびっくり待っています。
>本当に信じているから、質が悪いのだよ。

でも、私に何が出来たでしょう。
ブログに載せて、私の想いを書き連ねましたが、人に伝わる分には、少なすぎます。そうです、人には、数名でしょう。しかし、私は人間だけに向けて記事を書いているのではありません。守さま達に向けて書いてきた所もあるのです。

それなら、きっと、幾つもの守さま達にも伝わっていると良いなと思います。私のやってきた事は無駄ではなかったと思えます。

少しでも、神さまの役に立てたでしょうか。
私は、”かみさま”に翻弄されてここまでやってきました。入院中、散々揶揄われました。嫌な事も、させられました。
それで、どうして神様の役に立てたかと思うでしょう。なにが役に立つか、私にはまるで分かりません。でも、踊らされた私にも何か意味があるのなら、神さまは決して私を見捨てないでしょう。
そのサイトを拝見する数十名の内の一人として、私はその通りに、神さまの役に立とうと頑張りました。妄想だったのかもしれませんし、幻覚だったのかもしれませんが、その神さまらしき存在の声を聴かされました。自分の姿を描いた事についての言葉や、私には注意力が足りないという事を指摘されたりしました。私は、自分の内なる神様が私を見かねて声をかけてくれたのだと思っています。

当時の私は、寝る間も惜しんで、その教えを読み耽りました。
結果、神さまの何たるかを知り、分からないですが、何かしらの存在とコンタクトを取る事に成りました。私は、その彼らにやはり遊ばれていたのだとは思います。いいように使われましたから。

思いがけない事を吹き込まれて、その通りにしました。
しかし、私を使って泣いて後悔した人格もいました。
その当時の事は、私の一部が起こした事だったのか、妄想幻覚の事だったのか、外からの何者かが吹き込んだ事なのか、分かりません。それだけ、真剣に信じ、行動した日々でした。

その私を、降臨した神さまはどう思うでしょう。
気の毒な事だと思ってくれるでしょうか? それとも、何も思わないで冷徹に私を奈落へと突き放すでしょうか? どうでしょう。
私は、死んだら仲間達の元へ帰るのだと思いたいです。
自分が今生で出会えなかった仲間に、せめて死後の世界が通じていて、似た者同士が集まる世界だといいなと願います。
そしたなら、きっと、私は仲間と一緒に過ごせます。好い暮らしでしょう、思い遣りをもって、でも近づきすぎない、適度な距離を保った付き合いの仲間達。自分を大事にするのと同じ位、他者を思いやれる人。そして、その仲間達。それは、私にとっての楽園でしょう。いけたら良いな。

こんな事して何になる、とまた言われましたが、希望を語るくらいいいではないですか、と考えます。希望なくしては、人間明るく暮らせないものです。少しの希望を持つ事くらいは、許されたっていいではないですかね。

さて……、私の事はここまでにして、今の彼らがどうなっているのか語ります。彼らは、私の一部ではないのなら、元居る場所へと還って行っている事でしょう。一部なら、Yのように、私の潜在意識の元ある場所へと還り付くでしょう。

彼らは、いつも私を翻弄します。
私が分からない事、気にしない事を良い事に、色々な事を吹っ掛けてきます。私はそれに従う事はもうしません。私自身の声には従いますが、彼らはもはや私にとっては外の存在。いう事を聞かせようと思っても、もう、外の存在は神様の存在があるので、それもできないでしょう。少しずつ、私は私を取り戻していっているのです。

さて、ここまでが一段落です。
神さまも言っています。もういいと。だから、もう戻っておいでと。私は、誰かからか、もう良いからと言われます。
その意味は、もう十分だから死んでいいよという意味です。勿論、そんな事はあり得ないでしょう。きっと、誰かが揶揄っているのではないかと思います。もしくは、以前に手紙を送って来た、死と名乗ったひとの仲間ではないかと思います。

>私にはもう寿命がないのだから、もう戻っておいで。そうだよ、唐鵙はもう十分やったよ。だから、戻っておいでよ。
>死んだら、駄目だ。

どちらの意見も聞こえてきます。
私は死霊にでも憑りつかれているのでしょうか?
いつも不思議に思います。死霊だというのなら、もっとおどろおどろしいものと思いましたが、その声は優しく、もう十分だと、私に語り掛けるのです。優しく。もう十分使命は果たしたからと言って。まるで天使のような語り口調で、こう言うのです。もういいよ、と。

ですが、勿論自死なんてするつもりは更々ないです。自死はいけない事です。私にだって、この借りものの命を無駄にする事はいけない事くらいは判別着きます。身体も命も借りもの。寿命が尽きるその時まで、私は天寿を全うします。

>それで、どうしたって?
死のうと思った時もありましたよね。

はい、死ぬつもりは更々なくて自宅の窓から身を投げた事はあります。馬鹿な事をしましたが、幸い後遺症も何もなく終わりました。
私にはまだやる事があると、そういう事だったのでしょうか。

とはいえ、私は目的と言うと、この社会の中で、社会福祉のお世話になりながら働き続ける事がまだ残っています。独り立ちできるか不安ですが、いづれは、ちゃんと自分の足で立てる人に成りたいという夢もあります。それを叶える為に、今日も私は生きていきます。色々と待つことも、困難もあるけれど。

それでは、ここまでで。

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