唐鵙の蔵

統合失調症になったけれど前向きに人生を歩む人のブログ。日々徒然。

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昨夜は久々に”父さん”が出てきました。
今回は”父さん”について少し触れましょうか。
父さんは私の空想から生まれたであろう想念です、多分。
結構自由です。私が望んでいた父親像が形を得た存在です。
落ち着いていて、物腰が穏やかです。
でもしっかりもしていて、冷静沈着です。

でも、入院中には不思議な事もありました。
父さんは私の交代人格の一つになった時がありました。
それは、父さんが過去に犯した罪の懺悔をする時の事でした。
狼男のように月を目にすると豹変する性質を持っていた父さんは、それが元で自国の民を血祭りにあげてしまった事があるのです。
そして、父さんは非道の王でもありました。過去の話しですが。
私が末に生まれ落ちた時、あの世から現世に落ちていく様を何でもない事の様にただ眺めていたそうです。そして、後になってその重大さに気が付き、深く後悔したという事です。
民はそんな王をいとも簡単に許しました。
魂の身体でしたから、そう簡単には死なないのです。
でも、世界の始まりから今までの時点まで、世界創生をやり直す必要がありました。王は気がふれたように、創生を繰り返しては壊しを繰り返しました。そしてその度に、正気を少しずつ取り戻していきました。

王は自分を許せませんでした。
裏でそれを手引きした者がいると分かっても、王が成した事が無くなる訳ではありませんから。父さんは、王は、何度もやり直す事にしました。その懺悔を、父さんは人格を交代した時に泣いて行いました。本気の泣きでした。私の身体を使って、泣きました。

私にも、父さんは謝罪しました。
私が落ちていく様をただ見ていた事、その後何も出来なかった事。
私には父さんの気持ちは分かりません。でも、自分はそこまで大変でもなかったと言って、父さんを許しました。こうなる以前に、父さんが私の為に誰かに対して起こってくれた事や、私の為に嘆いてくれた事があったので、それで十分でした。

こんな事を書いておいてなんですが、そう思いたい訳ではありませんけれど妄想の末に生じた現象なのでしょう。
でも、それが臨む時には私は完全に父さんの存在を信じています。
妄想も幻覚も、たとえ正気の時にそれが妄想だと分かっても、実際に起こっている時にはなかなか否定できないものです。

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