唐鵙の蔵

統合失調症になったけれど前向きに人生を歩む人のブログ。日々徒然。

過去の投稿103

私が好きな本の中に、「向上や前進のために、一体どれほど大切なものをなくしたことか!」という言葉があります。

……いきなりですが、思い出しました。
そうです、思い出しましたよ。

私はずっと不思議に思っていたんです。どうして皆が皆、向上心を持てだとか、もっと立派になれとかそんな誰が言い出したかもわからない事の為に身を粉にしてきたのか。

だって、そうでしょう。
誰も、見てはいませんよ。こんな私語りのブログなんて。
(これは幻聴ですかね。勝手に出てきました)

そんな事、分かっていますよ。それでも書こうと思ったのは、ちゃんと伝えたい事があったからです。そうでした。私にとって、一番重要なのは「こんな」自分でいる事でした。

たとえ統合失調症になってしまったって、私は私です。そこに気が付くのに、大分時間がかかってしまいました。でも、それに気が付いて、何かするかというと、しません。ただ、己が己だった事を再び知るだけです。

私は、かつて自分が学んだ事を皆にも知って欲しい、あくせく生きる皆に知って欲しいと思っていた事がありました。
それは、なんだったか、ええと。ちょっと待ってください。時間が必要です。よくある言葉でしか言い表せませんが、次のような事です。

「皆、この星に生まれ、やがて、また星に還って行く。」

この事が一番の癒しでした。
私が死にたくてたまらなかった時、慰めてくれた言葉がこれです。
どんな生き方をしようと、いずれは朽ちていく。栄枯盛衰。
その言葉は、私に語りかけてくれるようでした。

今がいかに充実していようが、していなかろうが、私達にはいつか必ず死が迎えに来てくれる。自ら死ぬ必要など何処にも存在せず、苦しくても、楽しくても、同じ時間だと。

死は、我々の親しき友人なのです。

やり過ごすだけの私達は、それでもやがて同じ場所に還るのです。それすなわちこの星であり、全ての私達の生まれた場所なのです。

他にもいくつかあります。それは、こうです。

確かな事など何も有りはしない。
幸福という概念は常に移り替わっていくもの。

自分にとっての大事な物こそ守って生きていこう。

皆、存在している時点で恵まれているのです。
ありふれた生活の中にこそ、満足できる幸せが隠れている。
雨風をしのげる住居があり、ご飯を得る事のできる暮らし。
それだけで、もう、十分ではないでしょうか。周りに人間がいるのなら、より一層の幸福です。皆、誰かと、何かと繋がって生きています。目に見えなくても、社会という繋がりの中で生きている私達は、それだけで満たされた暮らしをしているのです。

幸せの一歩目は、自らが持っている豊かさに気が付く事から。

それにしても、自らの心をすり減らしてまで得るものを、果たして幸せと呼べるのかどうかです。皆、幸せなら既に手にしている。それに気が付けるかどうかが、満足した一生になるかどうかの分岐なのです。

……。なんだか、やはり言葉だけでは伝わらない想いというものがありますね。心が充足した気持ちと共に気付きを得てきたのですが。それすらも、もしかしたら統合失調症の前兆だったのかもしれないと思えてきましたよ。まぁ、それでも私の暮らしは変わらず続くのですがね。勿論です。

私は、自死はしないと心に決めました。良くも悪くも、終わりは来ます。その良し悪しなんて、誰が決めて良い事でもありません。
ただ、私の一生が一つの本のように締めくくられるだけです。
私は、私の一生を送ります。何時でも。

皆さんの持っている”幸い”は何ですか?

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