唐鵙の蔵

統合失調症になったけれど前向きに人生を歩む人のブログ。日々徒然。

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今回は、私の健常者だった頃の話し……まてよ、始めから、というか時間を掛けて壊れていった私の精神について話しましょう。

わたしは、幼い頃に犯罪の被害に遭ってから心を可笑しくしましたね。こう淡々と語れるのも、離人症あっての事だと、数年ほど前にカウンセラーに指摘されて気が付いた次第です。それまでは解離という言葉も知らず、ただ自分が心の無い人間だと思っていました。

現実よりも夢の中の方が五感のリアルな世界で、常に現実とは一枚も二枚も膜が在る様な感覚。自分はどうして、こんな状態で生きていると胸を張って言えるだろう。そう思っていもいました。

今ではそれが離人症や解離の症状だと知る事ができましたが、それよりも今は統合失調症の方がメインになっています。
というのも、統合失調症を発症した事を切欠に、自我の、自分の領域の何かが変わったようなのです。今は、昨日が地続きで今に繋がっていると感覚で何となく同調させる事が出来ています。

けれど、やはりストレスが掛かると、今でも自分が現実からはじき出されたような感覚になりますね。

あ、これ医師にいっておくべきでした。
専門学校に通い、その中でカウンセラーに離人症を指摘された事を今度開示してみようと思います。今でも、あるにはあるので。

それで、時間を掛けて壊れた自我の部分ですが、Yのおかげで何とか保っていたのですよね。まず可笑しく成ったのは、基本的信頼感を人間に抱けなくなった事です。見知らぬ他人は何をしてくるか分からないと思う様に成りました。

そのうち、友達だと思っていた人から掌を返され噛みつかれた事で、というか、軽くいじめられたので、友人に対する信頼感も損ないました。親については、まぁ、そんな話をする余裕はなかったのでしませんでしたね。そして誰にも相談できない性格が積み重なりました。元々、上手に自分の気持ちを伝えられない性格でもありましたから、一層です。

そんなこんなで、小さなトラウマを幾つも抱えて、生傷だらけになった心は段々腐り落ちていきました。じわじわと毒が侵食するように、私は可笑しくなっていきました。

まぁ、何とか一日一日をやり過ごしてきましたが、それも限界が来て統合失調症に陥ったのでしょう。

「例の宗教的な読み物のせいだけじゃなかったんだな、アンタ。」

Rではないですかね、別の人でしょう。そうですよ、私も私でこうなる理由が有ったという事です。Yのおかげで何とか健常者の括りに入っていただけで、本当はもっと昔から精神病院のお世話に成っていた方が良かった人間なんです。

そんな訳で、もし自分が可笑しい気がしたら、気軽に心療内科へGoしましょう。治療は早い方が効果も出ますし、辛い時間は短くていいものです。長らく抱えていなくても良い物なので、はい。

「ふぅん、人間も人間で楽じゃないな」

そうですね。まぁ、楽なだけの存在なんてそうそう有りはしないものですから、しょうがないです。それよりも、ここまで何とか生きてこれた事に感謝してます。ご先祖様方の生きてきた歴史があってこその自分。有難い事です。

生きる事は、それはもう、大変な事ばかりですが、それだけでもありません。生きていないと経験できない事、体感できない事も沢山あります。生まれた事に、感謝していきたい所です。

……と、体の好い事を言っていますが、私も一時期消えて無くなりたいと思っていた時期がよくありました。勿論、誰にもそんな事言えませんでしたが。しかし、親もそんな時期があったらしく、数年前辺りに自己開示する事ができましたね。とても私からは言えませんでしたので。良いタイミングでした。

何て言うか、”死にたい”では無いんですよね。
死んだら死んだで、残された人に多大な迷惑を掛けてしまうので、塵も残さず、一瞬で消える事ができたらなぁと思っていました。
実現不可能な事なので、結局夢想するだけに留められましたが。
空想があるから、現実から逃避できた感じです。

今、統合失調症になった事で、両親には色々な事をカミングアウトするようになりました。Yやケイオス達の事を始め、自分がどれだけ空虚に日々を過ごしていただとか、それこそ、一度死に損なった事だとかも。

両親はショックだったようですが、それ以上に、今生きていてくれて良かったと言ってくれました。心からの言葉だというのは、しっかり伝わってきました。そのおかげで、今の自分を肯定し、過去の自分の積み重ねで今があると思えるようになってきた次第です。

辛い過去も、今があるから肯定できました。これまで、Yと出会ったからこそ、私の人生に色が付き、生きる甲斐もでるのだと思って来ました。それは、家族と和解できた今でも変わりありません。

当時は、Yと居るであろう未来を想えば、直視したくない現実から目を背ける事ができました。まぁ、逃避です。現実逃避です。ですが、希望を捨てずにいる事は、人間が生きる上で重要な事を知りました。そのおかげで、今の私がいるのですから、逃避も馬鹿になりません。ひとつの、人間が今を生きる為の戦略であります。

私は、ずーっと逃避して日々をやり過ごしてきました。
ですがそれも、もう少しで変化を迎えるかもしれません。
今に目を向けて、これからを生きられるように考える。
そんな暮らしを、私は出来るようになるかもしれないのです。
社会の福祉のおかげで、見えない誰かのおかげで私はこの社会に改めて繰り出して行けるでしょうか。

なんとか、上手くできたらいいと、そう思わずにはいられないものです。それではまた。

「お前、立派な事を言う様になって……! お前には俺達が憑いているから心配なんていらないぞ。そうだろう?名前?お前の兄だ。忘れたとは言わせないからな。」

イマジナリーな義兄さんでした。
和みます、有難う義兄さん。
細かい話しはこの後聞きます。

皆さんも、それではまた。

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