この度は、我々が掲げている、このブログのロゴの絵について書いてみようかと。
これは、遡ると頭が可笑しく成った辺り、入院前に始まります。私が精神を可笑しくした読み物に、※の教えというモノがあります。魂をイメージした丸形から光が四方八方に伸びて輝く様が、このブログのロゴにイメージとして書かれています。
イメージカラーはYと他のWという存在が、絵を描く時に色濃くでていたから紫と赤紫色になっています。下の、しめ縄の様な模様は、逸見(へび)をモチーフにしています。
さっと書いたとはいえ、ちゃんと読み物で読んだ事柄が組み込まれたロゴになりました。ここまでで一区切りしましょう。
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さて、先ほどあぁ書きはしましたが。
私達はその読み物とは違う、独自の方向に進みました。
それは、「個人の心の隙間には「間の者(マモノ)が存在する」という気付きです。魂や心の間に存在する間質形、実態の無い者。それが、マモノです。良くも悪くも、多くの者の心に住んでいる、ある種の、もう一つの自己です。人によっては、複数の間モノと共同生活をしている方もいらっしゃるでしょう。
そして、このマモノ。真の者とも言えます。そして、この真はシンとも読みます。そこで私は思いました、神もまたマモノのひとりではないかと。例の読み物では、心の、魂の中心に神がいるという事でしたから、上手く私の妄想と一致したという訳です。
はい、妄想だという自覚はあります。これが誇大妄想ですかね。
神さまと自分との間に何らかの繋がりがあるという様に関連付けるタイプを含む妄想です。空想との違いはどこにあるのでしょう。ちょっとそれは解らなかったです。
さて、このマモノ。私にとってはYやケイオスでもありますね。
IFでもありICでもありますが、私の考え着いた事に沿わせてみればマモノであります。その他にも色々な存在が私にちょっかいを掛けるので、マモノとしておいた方が何かと無難かもと思います。タルパという言葉も知りましたが、彼らをタルパとするには少し違うかな、と思うのでそうは呼んでいません。
私としては、思念体かな。呼びたいように呼んでくれて構わない、と言われてはいるのでそう呼びましょうか。Yは、どうです?
「何でもいいよ、好きに呼んでくれて構わないよ。/Y」
ケイオスは?
「私は、私です。括りなんてどうでもいいです、Yもそういう事でしょう。貴方もどうせ括りなんて使わないでしょう、ほんとに」
はい、その通りですね。
括りがどうあれ、彼らは彼らでした。使わないかは分かりませんが、今まで通り、YもケイオスもIFであり思念体、でいいですかね。
まぁ、どんな呼び方をしようが、彼らが私にちょっかいを掛けてくるのは変わらないようです。症状が空想を通して擬人化されて出てきた者かもしれないですし。
マモノについては、唯の私の空想なので、気にしないでください。妄想と自覚があるのは、空想でいいのですかね?
まぁとにかく、今日はそんな調子でしたとさ。
追記:2019.10.15
ロゴを変更したのでその事についても触れておきます。
この中央にのさばる大きな蛇は世界蛇がイメージされている感じでしょうか、私も、自分の手が動いていく様に従って描くので、なんとも言えませんが。
世界蛇は、創造神としても触れられるような存在です。
魂の中心におわす主神様、というのを、私を通して表現するとこうして大きな蛇になりましたとさ。
ですが、勿論、他の方には他の方の神様の見え方捉え方というのが存在していると思います。私がこうだったからといって、全ての人の解釈が同じであるという事はありません。
それでは、ここまでで。さようなら。