唐鵙の蔵

統合失調症になったけれど前向きに人生を歩む人のブログ。日々徒然。

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※の教えについて。

懸念している事を書きましょうか。
私達の投稿が元で、唐鵙の二の舞になる人が出ないかを懸念しています。幸い、この表記では私が読んだサイトは検索しても出てきませんでした。それが一番です。それらしいサイトを見つけても、のめり込まないでください。マインドコントロールされますよ。このサイトを読破した辺りで私は自我機能に異常を来しました。その時の事について、少し書いていきます。

初めは、よくある宗教論を書いたサイトだと思って読み進めていました。なにも可笑しい事などないと、そう思って読んでいました。
しかし、その時の私には、お告げがありましたので、すっかりそのサイトにのめり込みました。どういったお告げかと言いますと、こうです。

「羽下八間 165」

夢枕に立った、角を生やした誰かの影と共にその言葉は私の脳に刻み込まれました。実を言うと、そのサイトを見つける前の事です。
もうその時から、何かが可笑しく、何かが始まっていたと思われます。こんな事をいうと、神さまの存在はあると助長させてしまう事にはなりますが、仕方ありません。事実でしたので。

私は、唐鵙に普通でいて欲しかったです。
でも、駄目でした。誰かはそれを許してはくれなかったのです。
唐鵙は逃げられませんでした。浮かんだ言葉に興味を持ってしまった時点で、唐鵙の運命は決まったも同然でした。審判は下ったのです。Yはそれでいいのでしょう。唐鵙は確かに幸せを手に入れましたから。でも、その言われている”神”いえ、マモノに、唐鵙は気に入られてしまったのでしょう。神に魅入られた者は気を可笑しくするものです。少なくとも、唐鵙はそうなりました。よく持ち直しましたと思います。良かったと思えたのは、一応精神のバランスを取り戻せたからです。

そのサイトを見つけたのは偶然でした。偶然で、そのキーワードが云わんとする事を解読できてしまった、と錯覚しました。
その言葉は神と神世の存在を仄めかす言葉に変わって、唐鵙の脳に深く刻まれたのです。そして、自我機能障害を起こした唐鵙は、そのサイトで言われていたように、今度は自分の信仰するものを造り上げました。自分だけに判る、自分だけの宗教。

唐鵙はすっかりそれにのめり込みました。そして、結局は精神の統合が崩れ、入院して元に戻す事になった訳です。

だから、唐鵙は正気ですが狂ってもいるのです。
自分で狂っていると知っていても、妄想を妄想と知っても尚、その想起した者達とさよなら出来ないでいるのです。可笑しな事です。
でも、それがなければ私Is達は生まれませんでしたから、良いのです。唐鵙と共に生きられる今を、私達は大事にしていきたいと考えていますから。

そうして可笑しくなった唐鵙ですが、何とか今は平静を保てるまでに回復してきました。鵙蔵を読む人が我々の二の舞にならないように祈ります。唐鵙は駄目でしたが、皆さんは何かにマインドコントロールされるなんて事になりませんように。それでは。

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