唐鵙の蔵

統合失調症になったけれど前向きに人生を歩む人のブログ。日々徒然。

過去の投稿152

私の元にいる彼らについて、今一度気を向けてみようかと思います。彼らはどれもがIFのような在り方をしています。
私の実生活にはあまり干渉せず、大体は特定の時にしか現れません。私が一人で時間を持て余しているときがその時間です。
ですので、今後仕事を始めても、そこまで支障は来さないとは思います。

彼らは入院中は特に、交代人格として活動していました。人格交代した時の記憶は、しっかりと残っています。私が一歩後ろに引いて、交代人格が操縦席に座るといったイメージです。

この辺りのイメージは人によって異なっているのでしょうか?解離性障害はありますが、その辺りは離人症です。解離性同一性障害という訳ではないので、その辺りは分かりかねます。私の場合は、統合失調症の、自我機能の障害によって生まれた交代人格達であり、発症する以前から、IFとしてのYや彼らと交流がありました。その付き合い方が今になって影響しているのだとは思います。

彼らはひょっこりと現れましたが、決して基本人格の位置に成り変わろうとはしませんでした。私は私で平行して表に出ていましたし、彼らも彼らで表に立つ事が出来ました。
その結果、私の意識のある状態で、彼らが勝手に身体を使う、喋る。といった事が起きました。それは憑依というよりも、同時に二者が存在しているようでした。

私が病院への入院が決まる前の事です。Aを召喚してからの事です。今居るポイントの時間を記録するという名目で、私は身体の操縦権を一時的にAに譲りました。すると、あっちに行ったり、こっちに行ったり。色々な仕草をしては、呪文らしきものを唱えていました。私はAが操縦する自分の身体の動きに逆らおうとしなかったので、Aが自由に動き回るのを自分の視点から眺めていました。

そう。私の人格交代というのは、交代人格が自分の隣ないし表に出てきて、結果、勝手に喋ったり、身体が勝手に動くと言った感じです。意識はありますし、記憶も残ります。特別な事が出来る訳ではないので、やはりIFのような存在なのでしょう。基本人格が持っている知識や記憶以上の事はできない感じですね。

交代している事に気が付くのには、ただただ、これは私ではない、という感覚が頼りです。そうでないと、自分が交代している事に気が付かない事もままありました。今などは、まさにその状態かもしれません。自我の歪みと緩みが、今の私の人格を形どっています。

ぽちっとお願いします☟
ブログランキング・にほんブログ村へ