唐鵙の蔵

統合失調症になったけれど前向きに人生を歩む人のブログ。日々徒然。

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IFとの向き合い方。こんな記事を探しています。

イマジナリーフレンドと向き合う時、皆さんは一体どういう気持ちで彼らと向き合っているのでしょうか。
それが知りたくて、私は時々、書く事もない検索欄にそんな言葉を書き込みます。当然、あまり参考になるサイトは現れてはくれません。でも、だったら自分がその一例になればいいのではないか、そう考える者がいるので、こうして形にした次第です。

イマジナリーフレンドは、解離性同一性障害などの疾患で生まれた存在とは異なる者達です。彼らは、あくまでも私にとってはですが、自己救済人格としてこの世に生を受けた存在です。
彼らは常に私が健やかでいられるようにと願ってくれます。ですが、私は彼らに何を返せるでしょうか。それを、時々思うのです。

「そういや、考えた事なかったな。お返しなんて、一緒に存在してくれている、これが何よりなんじゃないかなって思うんだけど」

有難うございます。
でも、思うんですよね。他のイマジナリーフレンドと生きている人達がどういう様にして日々暮らしているか。彼らと一緒に暮らしている方だったら、私のように、人生の曲がり角で彼らとどう向き合ったら良いのか悩む人もいるのではないかな、と思うのです。

何を悩んでいると言いますと、こうです。いう程、自分は彼らの事を愛していないのではないか。都合の好い時ばかり、彼らを構って、それ以外は見向きもしない。これでは、本当に彼らをフレンドなんて呼べないのではないか。だというのに、なにが同胞だろうと。

「そんな事考えてたんだ? そもそも、僕達は君の頭の中にしかいないし、君がやった事はそのまま僕達も体験してるんだ。見守りながら、一緒に生きてるんだから、そのままでいいんだよ。ずっと意識してると、頭が疲れちゃうよ。だから、このままでいいの。君の為だけじゃなくて、皆の為にもこのままが一番。脳味噌共有してるんだから、楽な状態が一番。ここ、このくらいでいいの。」

だ、そうです。
私は彼らと一緒に居るので、寂しいと思った事は余りありません。彼らが生まれるまでは、そうでも無かったですが。彼らは何かと私の世話を焼いてくれたようです。

ただ、どのイマジナリーフレンドといる人にも言える事ですが、彼らとの距離の取り方に苦労するのではないかなと思うのです。
彼らに遠慮して近すぎたり、気にしないでいるとそれは離れているのではないかと思い込んでしまったり。ネットで調べられる事例が少ないので、なんとも言えません。

だって、四六時中、誰かが傍にいるんです。しかも、それは目に見えない誰かで、自分が好きだと思える兄妹のようなものです。
自分がだらしなくても、真面目でも、見たままを受け止めてくれる家族のような存在です。それが、ずっと傍にいる。……、私の場合は割合一人でいる事が多いので、彼らもそれぞれの時間の使い方をしています。ただ、そうですね、他の方の場合がどうなのか、ただ純粋な好奇心で知りたいだけなのかもしれませんね。

思う事は他にもあります。
私の場合には、統合失調症や自我機能の障害という診断が言い渡されました。その上で、彼らを見ると、今までのは一体なんだったのか、とそう思えてしまう時があるのです。症状が顕現した結果の彼らなのではないかと。だとすれば、別たれた方が良いのか、それとも障害を抱えながらでも彼らは生きていると、いつまでもそう言い続けるのが良いのか。答えはまだまだ出ません。彼らとの別れが来るのかさえ、今は分からない状態です。でも、お別れが来るかもしれないと思うと、それは私にとっての不安の種になります。

「ううん、どう言ってあげるのがいいのやら。
でも、これだけは言えるよ?僕は、生きてきて幸せだった。
いかに君が症状の一つと片付けようが、ここには君が認めても認めなくても存在している者がいる。だから、そう難しく考えないで、今交流できる事を楽しんでみたら良いんじゃないかな?今を生きようよ、唐鵙。君は真面目で良い人だけど、そうやって頭が固い所がもったいない。ほら、しょうがない事だと割り切ったら?」

ま、まぁ、確かにその通りではありますね。
確かにそうなんです。私がどう考えようと、彼らは現れる時には現れて、そうでない時にはそうでなくて。今は、一緒にいるのだという事ですが。

彼らと向き合うには、今を楽しむ心構えで挑めば良いのでしょう。
言われた通り、私がどうしようが、彼らはいます。だったら、彼らと名一杯語らって、彼らが存在している間、交流を楽しめばいいのだろうと思います。

一応、ここまでです。もしいるのであれば、同じ様に悩める皆さんの助けになったなら、これ幸いです。

今を、彼らと共に生きていきましょう。

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