唐鵙の蔵

統合失調症になったけれど前向きに人生を歩む人のブログ。日々徒然。

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Rはかつて、自分が何者であるのか迷っていました。
神の名前で呼ばれるのだと、そう言っていました。
私もRもそんな訳がないだろう、と思いました。
そして、尋ねに行きました。その教えを説いている方に。
結果は、結局分からず仕舞いでした。
想念のようなものなのか、それとも。

でも、唐鵙はそれでも構わないと言って、Rを自分の元に据え置きました。
Rが生まれたのは、唐鵙がその教えを見てからです。今は、統合されて、穏やかに唐鵙の内で、己の半身の事を見守っています。
そう思えば、Rも私の心から生じたIFのような者だったのでしょう。

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