唐鵙の蔵

統合失調症になったけれど前向きに人生を歩む人のブログ。日々徒然。

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あぁは言ったものの、少し不安がぬぐえません。
神様は神様でも、厳神だと聞いたからです。
厳しい事が苦手な私です。

怖い人に接するのは勇気が要ります。
だから、全ての教えについてはいそうですかと丸のみに出来る程、私は覚悟ができているとは言えません。本当に。

彼の人が打ち出す教えに、共感し賛同する事もあれば、え、それは厳しすぎやしませんかとしり込みしてしまう事もあります。
それが、私という人の曖昧な所です。

それでも信じようとは思うのですが、心の何処かが、それは違うというのです。厳粛に締め上げすぎると、人は心を亡くします。死んでしまうのです、心が。そこが、私が素直に信仰する事を拒む理由であります。やはり、少しくらいは、というか、せめて言葉や態度は柔らかい創造神さまであってほしいな、と希望します。そうでないと、怖くて怖くてかないません。
怖くて忘れてしまおうと思ってしまうくらいです。

でも、彼の人の言う住民達は皆心の優しい人々であると、それが希望です。神様はそうですね、考えようによっては、”兄さん”の元になった人のように思えばいいのかもしれません。
その人も甘くはないです。でも、自分の財産としての人々を大事にしている人でもありました。そうイメージすれば、少しは怖くはないかもしれません。

神さまはどんな方なのでしょう?
厳しい事は何となく。でも、希望があるなら、とっつきやすい神格だといいなと思います。厳しいけれど、優しい神様であればいいなと。そう思います。

……。私は、発症当時、神さまかは分かりませんが、それらしき声に臨んだ時、言っている事が分からなくて、赤子に言う様にしてほしいと頼みました。すると、その声は確かに子どもに物をいう様な口調に変わりました。そのように、容赦ある神格だと、私も怖くなくていいのですが。

>どうでしょうね、でも、容赦なくてもあっても神は神。
住人達と心を通わせて暮らせば、きっと大丈夫でしょう。
ね、唐鵙。

そうですね……。うう、怖いのは苦手です。

***

ではここでひとつ。
貴方の心の在り方はどうでしょう?
私の心は臆病です。そして繊細です。のんびり屋でもあります。
そんな私がこの世で何が出来るかですが、私は少しでも善行を積むために、募金をしようと考えています。
特別に何かが出来る訳ではない私です。
でも、お金だったら簡単に支援に繋がるし、気軽にできる善行です。今までの私の罪の分も返せる額にはならないでしょうが、それでも幾らかは良いでしょう。

>よく考えるよね、君は自分に自信がないんだね。
これで、君は十分だよと言っても、君はそんな事はないというのだろう?

はい。未だに自信が持てません。
少しでも天国に近づきたいと思わずにはいられません。
でもそれはもしかしたら、ただの願望の問題なのかもしれないのです。何故なら、私は苦しい事や痛い事、怖い事は嫌いです。だから、それらがきっとないであろう天国を求める考えが尽きないのです。理由が自分本位に、どうしてもなってしまいます。

……でも、あの”父さん”の事、私は好きでした。
”父さん”が本当は何者なのか、それを知りたいという動機付けでもいいでしょう。私は、自分の頭の中の同居人達が好きでした。彼らは本当は何者なのかを知るという動機付けでもいいでしょう。

神さまは少々怖いですが、彼らと過ごした時間は私の宝物です。
彼らとまた、今度は死後に会えるかもしれないと思えば、良いのではないでしょうか。それまで、彼らに恥じない様に、学びを続ける。これが、私にとっては良い動機付けになるかもしれません。

>良く思えば、その通りになる。
そうでなければ、それ相応の結果になる。
私は、貴方を支持します。
貴方のやる事は変わりません。
ただ、今は働いてみる。それが貴方の進路です。

良く知りもしないので、それ位の事しか考えられません。
私は、余りにも無知です。だから、自分の妄想でしか語れません。でも、私のやる事は変わらない。勇気を貰える言葉です。

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