唐鵙の蔵

統合失調症になったけれど前向きに人生を歩む人のブログ。日々徒然。

過去の投稿22

今回は家庭内不和の続きだ。実は、未だに父親と母親とが同居している仲に管理人はいる。それが我慢ならないので、こうして文章として吐き出したいんだ。Rが書く。

俺は、想念でなくイマジナリーコンパニオンとして管理人の傍に在った方が穏便に済むような気がしている。何故かと云うと、少しも向こうから音沙汰がない。俺が霊的な存在だとしたら、何かあっても良いだろう。俺がその観点から離れれば、少しは治療に専念しようという気が湧くんじゃないか。管理人は。特に朝方の管理人を見てるとそう思う。俺が想念として、主に管理人の傍に居る時は朝。管理人がまだ眠くている時に、俺はまだ眠いから寝て居ろと言うのが仕事みたいなものだ。

寝る分だけ、統合が進むんじゃないか、という希望があるから。

だが、そういう訳でも無いらしい。だから、まぁそろそろ起き出した方が良いんだろう。寝たいときには寝るが。それが良いんだ。休息と活動のバランスを取るにあたって、精神疲労も見逃せない点だ。特に、まだ父親がいる家に管理人はいる。

刃傷沙汰にならないか、少し不安なんだ。
この所はまた不和に傾いているからな。無いとは思うが、不安感を拭いきれない。それは多分管理人に染み付いた父親への不信のせいなんだろうが、まぁ。心配するな。いざという時は逃がしてやる。俺たちはちゃんと唐鵙の事を守り通す為に在るような者なんだから。いざって時に決めるのが俺の仕事でもあるだろう。

哀歌を、送りたい気分だ。救われてくれれば、良いんだがな。

俺は、何者か知らないで生まれてきた。
というのは少し嘘で、いや、嘘ではないのだが、ハッキリ着いていないのだ。
俺は管理人の副人格の中のひとりとして、入院中に生まれた者だ。

だからか、自我があまりハッキリとはしていない。姿は何となく割り振られていたが、名前はころころと変わって、一貫していなかったな。俺は、何物なんだろう、とずっと考えて来たが、今は、想念のひとつでもイマジナリーコンパニオンのひとつでも、どちらでも良いのではないか。と思えている。どちらであったとしても、管理人は傍においてくれる。だから、拘らずとも、良いのではないかと思う。

しかし、もし俺が当初のように”守(かみ)さま”が正しい正体だとしたら、いや、それはないか。ここまできて、俺には何が出来る訳では無い。管理人の身体を借りてモノを語るくらいしか出来ないからな。

俺と管理人が惹かれていた宗教的な読み物も、最近では然程惹かれない。
もう、出尽くした感じで、何より俺たちと同じ様に不思議な体験から踊らされている人に変わりないではないかと思えてきたからだ。本当だったら本当だったらで、それで良い。単純に嬉しい。俺が生まれる元となった読み物だからだ。

管理人がこのブログを一新する前に呼び掛けていたその読み物の学びと教えにも意味があったというものだしな。まぁどの道、死んでみないとあの世の本当の所は判らんのだろう。健康寿命を鑑みるに、まだ時間はある。筈。その中でより自分らしい解放された生き方を模索していけばいい。そう。そうだな。節度を守って、良識を持って、な。

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