唐鵙の蔵

統合失調症になったけれど前向きに人生を歩む人のブログ。日々徒然。

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今日も相変わらず、声が臨みます。

死ねと言ったり、死ぬなと言ったり、どっちつかずですが、それは私に臨む声の主が複数存在するという事でしょう。
死ねというのは乱暴な言葉を連想させますが、実際の所は「もういいよ。楽になったらどうだい?」といったような言葉です。死神という存在は優しく、楽になりたいという気持ちに付け込んで死に誘ってきます。でも、ここで死んではいけないのです。

死は、自然で在るべきです。病死か、事故死か、老衰。これらの事は気に掛けなくても来るときには来ます。それまで、自死はいけないのです。苦しみから、永遠に抜け出せなくなるのは見え透いています。借り物の命を、自分の都合で放棄してはいけないのです。

苦しいですよ?
私だって、死んだら楽になるのかなぁと思う時はあります。でも、選びません。死んでも何も解決しやしないですから。私は死霊に見出されたのかもしれませんが、まだ死ぬ気はありません。私が待つのは、訪れるであろう自然な死だけです。
……。死神が優しい言葉をくれるのは、嬉しいのですけれどね。

本心では、楽になりたい。でも、その気持ちに従う事は、今まで育ててくれた両親、親戚たちへの裏切りにほかならないのです。皆、苦しい中でも生きている。死にたい気持ちは、私は否定はしていません。でも、実際には死にません。思っても実行しない事はとても大事だと思います。苦しくなったら、私は音楽に逃げます。そこでは、死にたい気持ちを否定せず、柔らかく苦しい気持ちに同調してくれます。歌には心の救済の仕事があると思います。

死にたくなったらどうしましょう。
一番は、美味しいものを食べて、音楽に浸って、さっさと寝てしまう事でしょうか。人間、疲れが蓄積してくると、マイナスな気持ちに支配されがちになります。そんな時はさっさと休むべきなのです。

>よく出来ました。

……?
はい。どうもありがとうございます?
まぁ、声は色々な事を投げかけてきます。こうして、褒めてくれたりもしますし、色々です。そんな中での統合失調症暮らしです。
私は自分の生じた気持ちは否定しません。
でも、実行するかどうかはまた別の話しなのです。

今日の雑記でした。

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