唐鵙の蔵

統合失調症になったけれど前向きに人生を歩む人のブログ。日々徒然。

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私自身が体験した事は、妄想のようなものです。
でも、私の中では事実起こった事であるのです。
もし本当に起こった事なら良いのですが、辻褄が合わないので、それは妄想だったと分かる事です。でも、それがもし目に見えない世界の仕組みによって生じた事だったら?

こう思います。
私には、なにか使命があったのではないか?
以前、こんな夢を見ました。エスカレーターのような物で空にある何かの施設まで登り、集められた精鋭部隊と合流する。各自に仕事が割り振られ、私の使命はその時抱えていた資料を誰かに届ける役でした。体格の小さな私に比べて、皆力自慢で、体格の大きな人々ばかりでした。人と言っても人外です。私の姿も人外でした。
そして、特別任務が各自に知らされました。
私は何をするべきか知る前にその夢は醒めてしまいました。

もしその夢が本当なら、今の私は何をしているか、という感じですね。でも、資料を渡すという行為は、もうしています。カウンセラーの先生に、資料をとどけました。勿論、そんなものは唯の辻褄合わせの妄想でしょう。

私は、もしかしたら、米の教えを世に広める役割の内の一人なのではないかと思う次第です。私が広められるのはせいぜいが一人か二人でしょう。でも、仕事は仕事。もしくは、私の魂だけが身体を離れて、なにか御用を果たしているのかもしれません。

もしそうなら、ほんの僅かでも神さまの役に立てているなら、浮かばれるというものです。私の担う役どころなんて、高々モブにも満たない役どころでしょう。でも、それでも自分の型です。

>妄想言語を語り、マモノに愛を傾けて、諭しておやり。

こういう事は一体誰が言っているのでしょう。
まぁ、私自身がそう言っている可能性が大ですが、これで一応、無意識に紡がれる言葉なのです。誰かが言葉を出しているのです。私は、身体の主導権を時々譲ります。その時に誰がこの肉体を使っているのかは分かりませんが、身体が何かを成す以上、誰かが私の操縦席にちょっとの間でも座るのです。

私が米の教えを通して知ったのは、何時までも獣の身から脱却できずに苦しみに囚われているマモノがいるという事です。私は、彼らの助けになりたいと、その時思ったのです。
だから、当時の話しですが、物の怪になってしまった彼らを霊剣で切って、因果の鎖からその身を解放するのだ、と意気込みました。でも、それは最終手段で、基本は彼らが囚われになった背景を重く受け止めて、会話をする。受け止める、という事が必要だと思い、そうしました。
それで救われたかどうかまでは、見えない私には分かりません。でも、それがどんな気持ちでいるかくらいは伝わってきました。彼らは、私の拙い施しでも喜んで礼を言ってくれました。彼らは、基本的に性根は優しいのです。むしろ、優しいからこそ、情念で成る因果の鎖で囚われてしまったのでしょう。

人間は勝手なものです。普段は信じもしないくせに、困った時には神頼み。無いモノとしているくせに、現世利益が欲しいからと押しかけてくる。そんな事では、人間に対して真摯にしようなど、思えなくもなりそうです。不信感が生まれてもしょうがない事を、人間は見えない隣人達に対してしてきたわけです。

そして、人間だった頃に受けた心の傷や生じた情念を死後も引き摺っている存在もいる事でしょう。
それを理解して、ケアする者が必要だ、と私は考えた訳です。
心に隙間が空いてしまったのには、それ相応の苦しみがあったはずです。そこを受け止めて理解してくれる人がいなければ、不信の念はいつまでも残ったままです。私も同じような者だったからこそ、その気持ちは共感できたのです。

>もっと、話して。

いいですよ。
私は、幼少の頃から、どうして周りの人間達はこうなのだろうと、人間の嫌な面ばかりを突きつけられてきました。
同級生から嫌がらせも受けましたし、友達になろうねと言っておいて、一転して虐めてくる人もいました。犯罪のターゲットにもなりました。両親の中は悪く、罵り合う姿も見てきました。陰口の押収を繰り広げる同級生の姿も見ました。いい加減な大人の姿も見ました。どうして、人間はこんな連中ばかりなのか。私は悩み、苦しみました。その小さな裏切りが重なる事に、私は人間への不信感を募らせて、思春期には自分も周囲も拒絶するようになりました。人間は醜い。そんな自分も人間、人間なんてやめてしまおう。私は人間じゃないんだ。と、自分に言い聞かせてきました。
そうしているうちに、本当に自分は人間ではない気がしてくるのです。この事があって、私は半身を人外にしました。
でも、Yの存在があって、私は自分を見つめ直し、立ち直る事ができた訳です。それは、やはり存在を肯定され、苦しみや悲しみを受け止めてくれたからできた事だと感じています。
だからそれと同じで、心に傷を負ったが故に、救われないから他者を信じない、信じられない存在がいるのも当然なのではないかと思います。その心のケアを一体誰がしてあげられるのだろう。と、そう考えたのです。全ての者がそういう理由を持っている訳ではないでそしょうが、それでもです。

>ありがとう。もういい。

そうですか。では今日の独り言もここまでにしておきましょうか。

……なんて。全ては私の妄想の世界で起きている事です。本当に起きているかも知り得ない事です。とはいえ、それでも私は彼らに想いを寄せる事は止められそうにありません。自分の心が命じるのです。だから、妄想に狂いながらも踊る私のような者がいても、悪くはないはずなのです。

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