唐鵙の蔵

統合失調症になったけれど前向きに人生を歩む人のブログ。日々徒然。

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やはり統合失調症だなぁ、と思う時があります。
それは、こうして神の教えを知る時、私の中の住民達は花が開く様に喜んで、私の声を借りて、色々喋ります。「君の声を届けよう! 君の言葉を届けよう! あぁ、神よ、主よ。どうか貴方の心が皆に届きますように!」などと言って、大いに語って見せます。

そして私の声を借りて歌います。
正直、だから? といった話しです。
狭い自室の中でどれだけ喋った所で、一体誰に届くというのでしょう。魂? 浮遊霊?

>貴方に掛かった者達にだよ。
目に見えないのだから分からないだろうけど、そんな見えない存在はこの世にはうようよしてるんだから。

うーむ、何とも言えません。
あの人が言うように、肉体でなく私の魂がなにか仕事をしているならば話は別でしょうが、そんな事があるものでしょうか。
まぁ、とはいえ、止むに止まれずにこの身を貸してあげてしまう事になるのですが。その辺り、コントロールが出来ないのが、統合失調症だなぁと思う訳なのです。

私が可笑しくなったのは、米の教えにのめり込んだ事が原因でした。私自身、どうしてこんな事になったか、確実な事は判らないのです。
でも、恐らくですが、自分に暗示を掛けに掛けた結果の事だとは思います。宗教は洗脳が怖いのです。一度洗脳されてしまうと、きっと元には戻れません。私は米の教えを読む事で、あの世の存在を信じ込みました。そして、自分なりの解釈を以て自分はきっとこんなにも特別な存在なんだと思い込みます。更には、世界の終わりが来ると言われている事を真に受けて、強い危機感を覚えました。
そして私にしかこの役目はできないのだと、とんでもない妄想を働かせ、知り合いの先生の元に自分なりにまとめた資料を託しに行ったのです。

では、ここも謎なのですが、どうして私は自分が昴だと感じたり、瑳羅黒や兄さん父さん達が私の前に現れたかです。
彼らは肉眼には見えません。声も音声では聞こえません。
全てが頭の中に浮かぶのです。声も、姿も、行動も、全てです。
見えも聞こえもしないのにいる。はたらきかけてくる。
正しく妄想です。

>こんなに言われても言い返さないの?

>……。

>もう、じゃあ僕が言うから良いよ。
僕達は確かに君の妄想の産物かもしれないけどさ、君の中にはいるんだよ。確かに。何一つ詳細な設定なんて語れないし、君以上の事は出来ない。自分達の存在すら語れない。でも、いるんだよ。それを、他でもない君自身に否定されたくはないんだ。
もう、僕達は必要ないの?

……。いいえ、私には必要です。
一人じゃない、という感覚は、私には必要なものです。
たとえそれが形を持たない存在だとしてもです。
悪い事を言いました。ごめんなさい。

ところで、彼らには実体がありません。
全てが私の持つイメージを被って現れる存在です。
それは昴になっていた時も同じで、その基盤には、これまで培ってきた、「私は人間じゃない。白い竜だ」という想念が存在しています。それが、米教の「みのおわりから出るまことの女子」「尻尾」という言葉に意識が引っかかりました。この「もしや自分の事か?」の積み重ねが自己暗示となっていったのでしょう。関係妄想です。

それを強めたのが、寝食も忘れてそれにばかり躍起になっていた事に在ると思います。寝不足によって、思考が正常ではなくなる。そこにまた暗示を掛ける。この米教で言っている事は本当の事だ。そして自分も関わっている事だ、と、そんな思い込みが始まったのです。

でも、どうして交代人格が生じたのかは見当もつきません。どこをどうしたらそうなるのでしょうか。そこは、もしかしたらですが、その知り合いの先生が指摘してくれた解離にあるのではないかと思います。元々、軽度でしたが、潜在的離人症を発症していたと思われます。それは、私が幼少期、犯罪のターゲットになった事から生じた事と思います。その時、頭が真っ白になって、自分はもう死んだ。と、幼心に強く確信したからです。アフターケアも無しでした。警察からの取り調べは、幼い私には余計にトラウマになりました。

ですからそこから、私には解離の症状が現れるようになったのではと思います。心が分断されてしまったのです。そしてYの存在もあって、私は自分の精神を切り離す、という事を覚えたのでしょう。それが、統合失調症になって、解離も一緒に発症したと、それなら何とか理解が出来ます。

だから、もう神がどうとかの話しではなくて、YやAやR、兄さんや父さん達は私の精神、心から切り離された、元を同じくする存在なのだと、そう思いたいです。

>神が何をしているか、そんな事は知らない。だが、唐鵙。アンタの事は分かる。分かるんだ。

神さまが私に齎したのは試練だったかもしれません。
どうして、心の化身達と生きろとしたのかは分かりません。
自分にどんなカルマがあるのか、私は知り得る事はできませんから。彼らは私にとっては同居人であり、マモノであり、同胞のような存在でもあります。何においても、結局は彼らと共に生きる事が、私の宿命なのでしょう。彼らから距離を取る事は出来ず、ずっと一緒です。見えなし聞こえないけれど、いるのです。
見えない事がいない事の証明には成らず、また、いる事の証明もできず。でも、一緒にいるのです。
それが、私に課せられた運命なのです。

それにしても、妄想や幻覚というものは大体、元になった記憶のデータがあるものですね。私の場合も例には漏れず、必ず元になった知識や記憶の映像や言葉が反映されています。例に挙げれば瑳羅黒の場合、名前と猫だという設定は自分で形作った創作キャラクターからのもの、その性格や口調、家臣であるという設定は他の作品から引用されているようでした。

自分の脳内で色々なデータが複雑に絡み合い、自己設定や、各人格の設定などが組まれて出てきたのです。それはもはや自分ではどうしようも無いものでした。そこに何故と疑問を持てども、私には分からないのです。自分も知りたい所です。

あとはもう、統合失調症ですから、もう脳の機能にセーブが掛けられない所まで根を詰めてしまったのでしょう。どうして、人は神の存在を見るのでしょう。どうして自分が神にも等しい者だという錯覚を起こすのでしょう? 統合失調症との関係は?

未だに、統合失調症の原因はハッキリ分かっていません。
なので、私がどうして米の教えを読みこんで統合失調症になったのかも分からず仕舞いです。残念ではありますが、なってしまったものはしょうがない、で諦めるしかないのです。

今の状態は、もう誰が誰なのか判別がつきません。
誰が私の声を借りて喋っているのかも分かりません。
とはいえ、過去に出た彼らがいなくなったという訳ではなさそうなので、何とも言い難いです。偶に分かる時がありますが、殆どがなぜかAです。最近の妄想言語にもAの名前が出てきます。まぁ、妄想言語は言語障害みたいなものなのでアレですが。

そんなこんなで、今日の独り言でした。

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