2020-12-22 過去の投稿42 過去の投稿 何故だか分からないが、護りたいという声が絶えず在る。私を護りたいのか、とも思ったが、とんでもないと言われた。Yで充分なのだそうだ。確かに、Yは特別だ。私を前向きな人生に導いてくれたのがYである。それなら、何故”護りたい”という声が在るのか。 +-「彼ら、もしかして、認識できない分類の人格の断片なのでは?/A」 さて、どうだろう。でも、そうだったら理解はしやすいかもしれない。主人格を護ろうとする副人格の気持ちが表れに成っているのだろうか?相変わらず、正体は知れないままだ。