唐鵙の蔵

統合失調症になったけれど前向きに人生を歩む人のブログ。日々徒然。

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【過去には”消えたい”があった】

さて、今でこそ前向きに活きる事が出来るようになった私ではありますが、かつては社会の中での生きづらさを日々感じて暮らしておりました。特にそれが顕著だったのは、中学辺りの頃と高校を卒業後の専門学校生の頃でした。消えたい、とそう思っていました。

なぜ”消えたい”としたのかは、こういう理由です。
死にたい、では、残される家族が悲しむので「そもそも死ねない理由があるからだよね/A」

はい、そうです。家族がいる限りは、私は死ぬことを選択できませんでした。親も姉弟も良い人柄をしていて、こんな私が死んでも、きっと悲しみ、その後の人生に深い傷を遺すだろうなという確信があったからです。愛する家族のその後を悲しみに染める訳にはいきません。ですので、私は、始めから自分の存在が無かったことになったなら、「消えてなくなる」となったなら良いなと思っていました。初めから消えて無くなるのであれば、誰もが自分を知らない状態になってしまえば、何も心配いらないのにな、と考えていました。死ねない事が分かっているからこその、「消えたい」だったのですね。

死ぬ事も、生きる事にも度胸や覚悟が無かった私に出来た事と言えば、自分を現実から解離させ剥離させ、一時一時をやり過ごす事だけだったのです。思えば、その結果がIF達との暮らしとなったのかもしれませんね。以前の投稿でも述べていたように、Yが私の精神を危うい所で繋ぎとめていたという事で間違いないですね。きっと。

とはいえ、今の私は消えたいとは思っていません。
何故でしょうか、きっと家族に自分の抱えてきた生きづらさや想いを吐き出して、それを受け入れて貰えたから。これが一番でしょう。IF達の助けがあって、ようやくできた告白でした。

今まで、言ってしまえばいいのに、言ったら嫌に思われるか心配でずっと胸の内に仕舞ってきたものがありました。それは自分の事だったり、家族の事だったり、病気の事だったり、過去の悩みだったりと色々です。小さい些細な事でもありましたし、私にとっての大事でもありました。

私の場合は、言って良かったのだと思います。
IF達は言えて良かった、よくやったと言ってくれました。
「あの時は、どうなる事かと少しハラハラしていたけれど、ちゃんと唐鵙が自分の気持ちを吐露できたから、良かったよ。/A」
それを切欠にして、家族と居る事でのストレスもなくなり、家での療養も受け入れられるようになりました。自分は自分でいいのだと思えるようにもなってきました。

やはり「消えたい」という思いも、「死にたい」と同じで、本当は生きたいという気持ちが隠れているものなのですよね。ストレッサーがない環境なら、のびのび暮らせますもの。そうでなければ苦しくて、そう思うのも当然の事です。

過去には逃避してやり過ごすしかなかった私が時期を過ぎればのほほんと暮らせるようになったように、今苦悶の中に在る人も、何かを切欠にしてストレスの少ない環境に移行できるかもしれません。
どうしても苦しい場所なら、回避して良かったんです。
というのも、私は専門学校を自主退学しています。そうする事で、怖かった事もありましたが、案外すんなりと事は運んでしまって。
解放された時の清々しさは今でも覚えています。

勿論、皆さんにそうしろと言っている訳ではありません。
ただ、しんどい時には抱え込まずに発散するのも一つの手だったんだなぁと、自分を振り返ってみて思った事を言っただけの事です。
それでは、有難うございました。

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