唐鵙の蔵

統合失調症になったけれど前向きに人生を歩む人のブログ。日々徒然。

いいと思ったけどやっぱり嫌

最近思う事なのですが、私は今、父について昔の事は水に流してもいいなと思っています。父には色々と苦労させられたし、離人症になった原因のようなものですが、どうしてか今は許してもいいかと思っているのです。何故なのでしょうか。

まず、父の姿勢の変化がひとつにあると思います。今の父は、統合失調症になった私の事を理解しようという姿勢を感じます。それに、これまで父に対して思っていた胸の内を全て話して、それを知っての行動に繋がっているからだとも思います。それなりに大事にしてくれてるんだなぁと感じるので、許してもいいかなと思うのかもしれません。

もうひとつは、今の自分の環境です。これまで、ずっと狭い世界で生きてきた私にとって、自分の持っている感情といえば辛い事ばかり。その感情にずっとフォーカスしてきたのが、就労移行支援事業所に通って、色々な経験をし、見て感じてきた世界が広がったからなのではないかと思います。というのも、自分の持っている感情の全体の量が増えたからではないかと。辛いという感情が占める割合が減ったという事ではないのかなと思います。それに、日々新しい記憶が増えていく事で、過去の辛かった記憶がやや遠いものになったのではないかと。おまけに、今の私は就職も決まり、人生においていい場面。雑な言い方ですが、他の事は割合どうでもいいと思えるようになったのかもしれません。

となると、嫌な記憶から逃げるにはどうしたらいいのでしょう。それには今が良いと思えるように成る事が一番なのではないでしょうか。そして、嫌な記憶が薄れるような体験を色々する事。記憶を常に新しいものにアップデートしていく事が必要なのかもしれません。そして過去を考える必要が無くなる事。今に意識をフォーカスして暮らしていく事がいいのではないでしょうか。今が嫌なら、未来に希望をもって。未来が駄目なら、もっとその先に。…と、やはり人間は先に先にと、自然と希望を抱いて生きていかなくてはやってられないのかもしれません。こういう思考も大事ですよね。

…と、思ったのですが。また父と母の喧嘩が勃発しました。父の態度は昔のものと相変わらずで、正直失望しました。これまで色々言っていた事も、やってきた事も、結局は表面上のものだったのだなと残念な気持ちです。父に関しては、昔の事についてはもうどうこういうつもりはありません。そこは変わりなくです。でも、なんだかこういう事の繰り返しにはウンザリなのです。今の気持ちとしては、どうにでもなって、どうぞ、といった気持ちが強いです。

家族と過ごせるのは幸せな事もありますが、そうでない事だって沢山あります。家族だからこそ逃げられない嫌な事だって沢山あります。…はぁ。この先が思いやられる心地です。

退院して暫らくは、イマジナリーフレンドの義兄さん達が色々と庇ってくれ、父にも母にも意見してくれました。母と父の喧嘩に嫌気がさしている事も、父のせいで沢山苦しめられた事も、代わりに抗議してくれました。でも、もう彼らが私の前に出てくる事はありません。また辛抱しなくてはならないのは嫌ですが、もしもの時は今度は自分からも何か言えるようになりたいと思います。本当に、ウンザリなのです。といっても、母に愚痴るくらいしか、しばらくはできそうにありませんけれど。

今がいいと思えるようになれば過去の記憶は多少マシになるのは確かなようです。でも、それは逆に今が嫌になれば記憶の嫌な事も引き摺られるという事かもしれません。今の私がそうであるように。記憶の清算は中々難しいようです。海の凪と嵐の時のように、時々は変化がやって来るものなのかもしれませんね。記憶の呼び水を切欠として。

では、今日の独り言でした。見ていただいて有難うございます。

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