唐鵙の蔵

統合失調症になったけれど前向きに人生を歩む人のブログ。日々徒然。

神さまってどこにいる?

今もたまに思うのですが、神さまってどこにいるのでしょう。
私が読んだ宗教のHPでは、今は退いていると書かれていました。でも、あともう一つ。私達の魂の核。それが創造神の分魂だという事でした。でもそれを読んで、脳内で色々ミックスされた結果、私は神さまって結局色々なものに宿っているもの全てが総合したものだと思うようになりました。

神さまは同時にいくつも存在できるのだと思います。物質なんて超越しているでしょうし、我々の精神のようなものなのではと思います。でも、思うのは、神さまを信じる人の心にこそ神さまっていると思うのです。共通認識として神さまは存在しています。でも、その働きは神さまを宿した心の持ち主にしか作用しない。心を同じくする者にしか神さまの業は起きないと思うのです。

人間は太古の昔から、神さまと共に在りました。あの世を創り、霊魂の存在を創り、神さまの存在を創りました。そうでないと、死が常に隣り合う世界では、恐ろしくて生きていけないからです。明日への希望を持つ事ができないからです。では、それらの世界はまやかしでしょうか?いえ、その世界は確かにあるのです。信じるものが一人でもいる限り、その世界は人の心の中に在り続けます。心にあるという事は、その人の世界にはそれが存在するのです。そして、その存在を知った他の人の心にも息づきます。一度生まれた概念は、生き物のように、人の心に息づくようになるのです。

私は、人間あってこその神さま、神さまあってこその人間だと思います。信仰は人間の中心的な柱になっています。私も神さまは好きです。他の神さまの事は分からないけれど、自分だけに宿っている、自分だけの神さまが存在していると感じています。それは自分の意識を超えて、私を形作っている重要な存在です。思い込みで統合失調症になって、神さまの存在を見て、そう感じました。私の中に、神さまはいる。そして、皆さんの中にも、皆さんだけの神さまがいる。神さまは唯一絶対でありながら、いくつも存在しているのです。

私はスピリチュアルが嫌いです。宇宙の法則がどうとか、やりたい事をやっていればいいとか、地に足着いてなくて能天気な事を言っている事をどうにも好きにはなれません。でも、彼らの事を否定はしません。彼らはそういう世界に生きている人たちなんだなぁと思うからです。でも、私はその世界には生きていないとそう思います。棲み分け大事。生きている世界が違う人と無理に一緒になろうなんて思わなくていいのかもしれません。ただ、棲み分けを上手にして、相手は相手の世界でしっかりいきているんだというリスペクトを忘れなければ。世界も、もっと棲み分けが上手になっていけばいいのにな、と思います。そしたら、きっともう少し平和になるだろうにと、そう思うのです。

今日の独り言でした。見てくださり有難うございました。

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