唐鵙の蔵

統合失調症になったけれど前向きに人生を歩む人のブログ。日々徒然。

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さてはて、私は多くの他人の学びを求めていますが、知りたいままに任せて、それでどうするのでしょう。というと、私は自分の内面世界を充実させたいのです。外の世界は己の精神を映す鏡。

己の世界、己の世界の見方を変えれば、世界はその色を変えるのです。何と言いますか、外の何かしらを自分にインストールするといいますか、自分の世界に組み込むのです。所詮、人間は自分が見ていると認識している、その思い込みの中でしか生きられません。実際の世界と己の世界のギャップに戸惑う事も多数です。

一つに、神さまの存在があります。
神さまやあの世の存在を信じるか信じないかだけでも、その人の生き方も、世界の見え方も大分違ってくると思います。
私の場合は……いるかもしれない、といった所でしょうか。
実は全面的に信じている訳でもないのです。信じる気持ちとそうでもないかもしれないという気持ちを行ったり来たりです。

とはいえ、神さまがいるにしろいないにしろ、この世のあらゆるものは当たり前ではないという気持ちは忘れません。
皆、貴重で掛替えの無いものです。私の信じるものは、この世の尊さです。それが一番信じている事でしょうか。そう思えばこそ、この縁、この巡り合わせに感謝して日々を送れるというものです。私が内面世界を充実させたいと思うのも、このためです。
折角生まれてきたのです。生まれたからには生きるのが生き物です。でも、ただ流されて生きるのではなく、この心の、世界の移り変わりを感じながら、味わって生きたいものです。
ですが、勿論こうも思います。
私はこの現代の豊かな日本に人間として生まれ、寒さに凍える事もなく、食うに困る事もなく、幸せに日々を暮らせているのはただ単に運が良かっただけの事だと。そのおかげで、こうして自分の心の探求に時間を費やせます。有難い事ですね。

これが、神さまやあの世の存在があるとしたら、私自身が積み立ててきた行いの結果となるのでしょう。そうだったら、よく頑張りました、私。有難う、私。といった所ですね。この世に持ち越した業の清算も滞りなく済ませていければいいですね。

それで、私が内面世界を充実させたいと思うのはですね、精神性の高さと奥深さが、人間の価値を決めると感じているからです。
社会生活を送っていると、どうにも「あぁ、この人は何だかつまらない事に執着しているんだな」という人が目に着きませんか?
そういう人よりも、私は自分の芯をもった高貴な人間性のある人に惹かれます。だから、自分もそれに近づきたい。単純ですが、そんな理由からです。私が内面世界を充実させたいと思うのは。

と、おや? 神さま、どうして信じる事になったんでしたっけ。
あぁ、そうでした。夢枕に立った誰かがいた事と、魂が磨かれている人が天国行きという情報に惹かれたからでした。魂が磨かれているという事は、高い人間性があるという事です。そういえば、初心では私は別に天国行きを求めている訳ではなくて、それに値する人間性を身に付けたいと思って米教に魅入ったのでした。大分迷子になっていましたね。今では更新があった時に目を通すくらいにまで解放されました。

さて、高い人間性を身に付けれられたなら、良い事があると感じている事も事実ですし、何も無くてもそう在りたいと思います。これはもう、私の価値観、習性なので理屈ではないのでしょう。
理想が高いので、時々理想と現実とのギャップで心が折れそうになりますが、それでも追い求めるのは人間としての好ましい在り方です。あくまでも私基準になってしまうのですが。

考えが凝り固まってしまわないように、時々は他者の考えや学びの話しが必要なのです。だから、きっと、これからも私は他者の自己語り、ないし学びや真理を見続けると思います。

内面世界の充実が、私の悦びなのでしょう。
それが改めて知る事ができました。やはり、こうして形に起こして自分を振り返る事は良いですね。知らなかった自分を発見できるのは、それだけで楽しく、嬉しい事です。

とはいえ、内面ばかりに目を向けがちなので、地に足着かない感じになってしまうのが私の欠点でもありますが。それは、現実にも目を向けて、やる事をこなしていく事で修正したいものです。

今日の独り言でした。

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