唐鵙の蔵

統合失調症になったけれど前向きに人生を歩む人のブログ。日々徒然。

過去の投稿208

欲を言えば、のんびりのんびりしていたい。唐鵙です。

そんな私ですが、先日ハローワークに行ってきました。
作業所の実習の日程調整の為に向かったのですが、もう一度話す機会を設けたいと向こう方が言われるので、その約束を取り付けるまでになりました。

ところで、思うのですが、なぜいつも人間というのは行動した者勝ちだとか、もっとポジティブにとか、そういう自分を追い込むのが好きなんでしょう? 私は内向型も内向型です。自分の殻にこもって自分なりのペースで物事を進めるのを好みます。ある意味で楽観的で、前向きな後ろ向きであります。

たとえば、こんな思考です。
何時かは終わりの時が来る。だから、失敗しても、上手くいかなくても最期は楽になれる時が来る。だから、やる事は何とかこなして生きてみよう。こんな調子です。

のんびりしたい気持ちが先行して自堕落になりがちですが、やる事は腹を括ってやっつけるようになりました。これは以前もそうでしたが、何故か統合失調症を発症してからその傾向が強まりました。待つのが少し苦手になったのかもしれません。理性の部分がどうかしたのでしょうか。まぁ、それはいいでしょう。

のんびりしてはいけないのでしょうか?
人間、向上の為に犠牲になったものについてはあまり考えないですよね。病気になって、そのヒューズが切れてから気が付く所がありますよね。ゆるりと流れる時間の恩恵。私達が大事にしたいものです。何も、苦しんでまで自分を高める必要はない。気が乗って、楽しいと思える事をすればいい。それを、自分の強みにすればいい。

それに気が付くまでに、私も相応の時間を必要としました。でも、私の場合はもう遅かったです。自分の好きな物なんて、例の犯罪被害にあった時に弾けて飛んでしまいました。自分に自信が持てなくなってしまい、自分の人生というライフプランを考えるなんてできなくなってしまっていました。積極性のある方はその精神が宝物ですよね、羨ましい限りです。そして犯罪は罪深いですね。本当に。

と、そうですね、話を戻して。
人間には個人によっての在り方があるのです。ゆったりした人はゆったりした生き方が、勿論、向上したい人は向上したらいいのです。それがその人の生き方だというのなら。ただ、強迫観念のように向上ばかり唱えていると、いつか擦り切れてぼろ雑巾の様になってしまう時が来るかもしれないという事です。草臥れたら、休むのが吉です。

私は、ポジティブでもネガティブでもありません。でも、向上心が在る事と、回りからの評価を得る事とに混同して勘違い、自分は決して勤勉でないのに向いていない道に入ってしまったという失敗談があります。それが、専門学校への入学でした。たいした熱意もないのに卒業できる場所ではなかったのです。

私には熱意が欠けています。それは、犯罪の被害に遭って以降、そして周囲の目を気にするようになってからの事です。自己肯定感が低いのです。常に周囲にどう思われているか、自分を害する者はいないか、それにビクビクして過ごすようになったのです。HSPであった事もその要因でしょう。家は機能不全。いつも親の顔色をうかがう日々は、私の人生の方向を曲げてしまったのです。

幼児が家庭環境から得る、その後を大きく左右する要素があります。それは愛着形成。本来なら、親は初めて出会う、自分を無条件で愛し守ってくれる安心基地です。その認識を得られるかどうかで、その子の人生の殆どは決まったようなものです。上手くいけば、安定型の愛着形成が得られ、子は色々な外の世界に挑戦していけるでしょう。母子が離れ離れになると、その後は状況によって不安型か混乱型になるでしょう。

私は混乱型。守ってくれるべき存在が自分の脅威ともなり、一体どちらに身を置いて良いのか混乱した愛着形成をしたタイプです。人との距離感が分からなくなり、離れたいが嫌われるのが怖いなど、矛盾した思いを持つようになります。

私は、混乱型の愛着形成を持ったことで、大人への信頼を失いました。過去ですが。今は、少しずつ回復していってます。親に昔言えなかった事を吐露し、大事にしていると話して貰い、少しずつ、少しずつ、過去のやり直しをしているようなものです。

それでもまだ父についてはムラがあります。機能不全家族を形作った元凶とも言える人なので……。

そして、まだ人生をどう送りたいか、特に仕事の面についてはハッキリしませんね。これ!という熱意が足りないのです。やりたい事、と言われても「やりたい事なんてないよ、どうしたらいいの?」といった心地なのです。趣味と仕事は一緒に出来ないタイプです。まぁ、皆案外そういうものだとは思いますけれど。

一体どれほどの人が、やりたい事とマッチングした仕事が出来ているかですよね。その人はいいなぁと思う事も多々あります。いいなぁ。結局、向上する事の犠牲とかなんとか言うのも、自分にその能力が欠けている事の表れなんでしょうね。私にはそういう生き方は難しいから。でも、前向きに生きている人の迫力というのは凄いですよね。こう、ぐあっとしているんです。私の姉弟なんかがそうです。大変だったのは私の姉弟共々変わらないのに、ちゃんと成功して、充実した日々を過ごしているんです。私だけが、こうなりました。それは結局、現実から逃げに逃げてきた結果なのですがね。自分で人生を決めてこなかったツケなのかもしれません。

だから、皆さんは、ゆったりでもいいので、決めるべき所は決めて然るべきです。早歩きをしろとは言いません。でも、人生の岐路に当る部分は必ず来るのです。その時、自分を大事にするとはどういう事で、今後の人生がどう運ぶか、考えてみる事は必要なのです。

進む事にも犠牲は付き物。逃げる事にもまた同じ。
選択にはいつも何かしらのリスクが存在します。同じだけのメリット、デメリットも。それらを上手い事天秤にかけて選び取れたらいいですよね。時には進み、時には休み。無理をせずに生きられたら、どんなに素敵な事でしょう。私は、少しでも自然体に近づけたならどんなにいいだろうと思います。働く先がどんな所かはまだまだ分かりません。少しでも、希望の持てる場所であればいいと、そう願います。

ぽちっとお願いします☟
ブログランキング・にほんブログ村へ