唐鵙の蔵

統合失調症になったけれど前向きに人生を歩む人のブログ。日々徒然。

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A型作業所の体験実習をする前の面談で、こう言われました。
「専門の相談員を付けてもらってください」「他にも色々な事業所や就労支援センターを見てきたらいい」まぁ、遠回しに断られているのでしょうか。そこで、色々考えてみました。
本当にそこで働きたいのか。働いてみたとしても、一体次につながる業務内容なのか、いいえ、繋がらないでしょう。私は一般事務あたりができればいいかなと考えていましたので。

だったら、就労支援センターなどで事務スキルを学び、一般就労に漕ぎ着けた方が、時間も節約できるし、将来に繋がります。

なので、これまで頑張っては来ましたが、少し進路変更をしようかと思います。正直、自分であれこれするのは勇気が要ります。でも、本番になったら何とかできるのではないかとも思います。

就労支援センターなどの見学に行ってみて、自分に合いそうな所にしようと思います。近くの場所が一番ですが、就労に繋がるかはちょっとまだ分かりません。見学してみて決めようかなと。

これは母との二人三脚です。
相談しながら、慎重に決めようかと思います。

【追記:2020.1.9】

またまた進路変更です。
区役所に相談に行ってきました。
担当の相談員の方を紹介してもらいました。
「A型就労施設で、担当の相談員の方を付けてもらってくださいと言われたんです」と言ってみたら、快く応じてくれました。
何事にも順序があるという事で理解しました。
医師にもまだ一般就労は許可されていないですし、許可が出るまでA型施設で働いてみる事にしました。ここで悩みがちだったのが、もしも半年で許可が出たとして、途中で仕事を辞めるなんて向こうに迷惑でないかな?と考えていました。でも、母に言わせてみれば、私と同じ様に順番をまっている人もいるだろうし、自分の事を優先してもいい。向こうの事ばかり考えなくてもいい。と、そういう事でした。そう言ってくれました。

なので、私はちゃんと自分の将来を今一度考えるとしました。
周りの友達が結婚に子どもを授かると、進んでいく事に焦りを感じていたのだと思います。
私は、今は自分の為、家族の為にも焦る事なく、自分という人に向き直って無理せず治療をしていきます。まだまだ、年単位で治療が必要になるでしょう。でも、自分の気持ちを大事にして暮らしたいです。悩む時は悩み、進む時は進み、休む時は休みます。
自分のライフプランについて悩むのも自然な事だと、自分で思います。自分なりの生き方を考え、よく悩みながらも進んで行こう。
そう思います。

>翌々考えてみた?

はい。今出せる答えは、障碍者就労支援センターに電話して予約して、登録。今抱えている思いを聞いてもらい、自分の中でも整理する。そして、一般就労が許可されるまでの間、A型事業所で働く。(採用されたらですが)
こんな感じです。

>考えたならいい。よしよし。

***

ところで、今の私の統合状態について分かる所が出てきました。
同じ”私”でも、それぞれの行動に対して対応している”私”の存在があるのです。それぞれ統合したという事は、名前を”私”に返還する事でした。でも、”私”という名前にはなっても、簡単に彼らは呼び戻されます。先日、父親への嫌悪感がまたフラッシュバックした時などは、また兄さんが現れ、私を黄泉の国へと連れて逝くぞと告げてきました。そこは天国じゃないんですね。

>翌々思えばそうだな。あの世はあの世。仕方なかろう。

兄さんと、Y、ケイオスが久しぶりに出てきました。
割と残っているのは書き物担当の”私”です。Iですね。
あとはいつも歌をくれるYaという人がいます。
彼らはこんなにも簡単に戻ってくるのだなぁと体験した次第です。

いつもいつも、皆は私の動向をつぶさに注意しているのでしょう。
私を護ろうとして、兄さんは怒ってくれました。正直、嬉しいのです。そうやって私を護ろうとして怒ってくれる事が。

いつも「ここにいる」と、胸の位置を示してくれるのはケイオスです。いつも見守っています、と意思表示してくれるのです。いや、私は私との意思表示かもしれませんね。自分はここに居るのだと、そういう事かもしれません。

あー……、でも、こんな調子なのは、また統合し直しの位置に戻ってしまったかもしれません。実在の父親への不安感と拒否感で、また彼らが現れたという事ですから。父親の同居については、まだまだ拒否感が拭えません。

>今でも思い出しますね、唐鵙。
彼は、自分の家族を大事にできなかった人です。
子どもを無視し、己の妻を無視し、そうして生きてきた人です。
一般の家庭のように子ども達の将来すら見えなかった人です。家庭にも参加しませんでした。家族ではなかったのです。本当に。
ただ、父親という能書きだけの存在です。血の繋がりがあるだけの他人でした。娘にこう言わしめるだけの事はあります。

それは今でも現れます。
顧みない。それがありありと、如実に、本当に露わになっています。未だにです。勿論、良くしてもらった事も幾つかあります。
それがあるから、責めきれません。でも、家庭を機能不全に追い込んだ責任は認めるべきでしょう。父親がもう少し家族を顧みる人であったなら、私は犯罪被害にも遭わなかったでしょうし、こうして統合失調症にも成らなかったでしょうから。本当に、そう思っています。

>だから、神さまは言うのでしょうね、悔い改めなさいと。

こういう事があるから、私は信じたのです。彼の人の教えも、胸の中の神さまも。自業自得で父親に悔い改める日が来ないなんて、許せなかったのかもしれません。自分がこうして人生の色々な希望を見失っているのは、自分のせいでもありますが、こんな人間に誰がした、それは殆どが家族に向き合ってこなかった父親のせいだったと、そういう考えが拭いきれない私なのです。別に、人のせいにした生き方をしたい訳ではありません。でも、父親に責任を認めてもらいたいという気持ちがまだ死なずに残っているからこそ、私はこう書くのです。確かなのです。私達家族が苦しんだ事も。姉弟達が苦しんだ事も。母が苦しんだ事も。父も苦しんだ?どうでしょう。

接し方が分からずに、家族から逃げ続けたという事ではありましょう。その結果が、これです。私という人間を形作った責任を、父親には分かって欲しいのです。許してあげようなんて事はもうありまえせん。別に、もはや許す許さないの問題ではないのです。

きっと、父親への蟠りは、死しても残るしこりでしょう。
未だに、私は父親と積極的に接しようとはできません。怖くて不安なのです。父親が出す声にもストレスを感じますし、傍に居てもストレスです。いなくても、嫌な事は思い出します。
しかし、修復の機会をその度に捨ててきたのは父親です。
父親は人の話を真面目に聞きません。
全て、何が悪かった、これが悪かった。終いにはお前が悪いんだと、自分がしてきた行いを認めません。もう、聞き飽きました。自己擁護は。母との応酬も私の精神を削る一つの要因です。

未だに同じことの繰り返し。
父親に期待する少しの働きの為に、犠牲になる心の事といったら。
本当は、別れてほしかったですよ。
でも、それは本人たちが決める事だから、そう言い聞かせてきました。最近、統合失調症になってから、漸く別れてほしかった、と、自分の立場の話しをできるようになりました。

これから先も、きっと、この微妙な気持ちを抱えながら暮らすのだと思います。

>世の中は、今はよくてもまた同じ。
よくもよかれもひとの向くまで。

あぁ、あの人がまた詠んでくれました。
きっと、人の心の向き方次第で世の中は良くも悪くも見える。
その見方を外した時、また良くも悪くもなく同じ事なのだと、
そう言ってくれているのでしょう。気を分けきれない私へのアドバイスかなと。仕事を請け負ってくれる所はある程度認めて、一緒に居る事くらいは許せるかい?と、そういう事でしょうか。よく、は欲の事を言ってもいます。仕事してもらうという期待の部分を言っているのかもしれませんね。「ひと」は、人の事であり、神の事でもあります。「私が心の向きを決めれば、如何様にもなる」とのメッセージでもあるようです。

こうして、私はいくつものメッセージを貰いながら暮らしています。護りの存在としての守(カミ)を名乗る人はいくらでもいます。その本性が何であっても、私を護ると考えてくれている以上は、彼らの存在は尊重したい所です。

まぁ、先ほど述べたように自我の別れた自分自身の可能性の方がはるかに高いのですけれど。こうなるのもまた統合失調症でしょう。

まだまだ、彼らとの関係は続くと思われます。
ゆくゆくは呑まれていく自我でも、今はまだ別たれた存在。
彼らとの日々は深淵を覗くような暮らしです。渾沌としています。

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